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攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXのDのレビュー・感想・評価

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(2002年製作のアニメ)
4.6
脳が知覚情報を細分化して(階層的)並列処理していることは神経科学の世界では常識だ。昨今人気のAI・機械学習というのはそこから着想を得て、信じられないほど細かくて大きな(何百万もの)データを並列処理させることで、様々な領域でものすごい精度の機械を作っている。こういう、機械の並列処理モデルのことを、計算機科学や工学の世界では、「コネクショニズム(Connectionism)」と呼ぶ。

攻殻機動隊はそのようなコネクショニズムを拡張して、人間の脳も基本的には並列処理による機械だと考え、他者同士の脳も並列につなげることで、知覚情報や知識の共有も可能になるという"big if"を中心に置いて話を展開する。
そして、人間に真に残された、機械と異なる部分は、「心」という名のGhost(幻)だというのが中心命題だ。心は幻のように実態を持たず、見ることも触ることも匂うことも聴くこともできない。そんなGhostが、機械的な殻(つまり身体)に入った生命体が、「人間(Ghost in the Shell)」である。
よって、人間と機械を分かつ要因はGhostしかない。下等動物(注意: 劣等ではない)は機械と同じということになろう。

攻殻機動隊は、その見た目や表向きのテーマこそサイエンスフィクションっぽいが、僕はその中心命題は実はGhostを持つことの美しさを謳う人間賛歌だと思う。

デカルト、もっと古くはアリストテレスやプラトンなどの哲学者によって盛んに議論されてきたこのような心身問題について、多くの人はなんとなく一度は考えたことがあると思う。かくいう私もこのようなテーマに惹かれて今の仕事を生業にしている部分はある。そのような立場から言わせてもらうと、実は攻殻機動隊のこのようなコネクショニズムベースの想定は現実的ではない。しかし、それは目を瞑れば良いだけの話である。

というわけで、そんな枝葉末節には目を瞑ってこのアニメを観てほしい。
いや、それよりは、せっかくフィクションなのだから、そういうbig ifが成り立つ世界とはどういうものなのだろうかと考えながら観てほしい。

細かい話はネタバレになるので敢えて避けて、僕が日常で感じる、攻殻機動隊に関することだけ述べておく。

たまにiTunesで全曲シャッフルで音楽を聴く。昔聴いてたけど、もうすっかり聴かなくなってしまった音楽が流れてきたりする。ColdplayとかArctic MonkeysとかThe Strokesとか。こういうの聴いてたときはクソガキだったなーとか、今じゃ聴けねえなあって言って、普通飛ばしたくなるもんなんだ。でも、たまに意識してなかったタイミングで、懐かしい曲と共に、別に酸っぱくもない中学時代の失恋の経験とか、小学生の頃に喧嘩した時に見た母の目の涙とか、父が出て行ったときの目頭の熱さと心の冷たさとか、当時の恋人を酷く傷つけた自分の過ぎ去りしミソジニー的側面とか、それを焼いて変わった今の自分に残った禍々しい火傷の跡とか、その曲に紐づけられたそういったものが全て刹那のうちに脳を巡り、1つの表示representationを作ることがある。そしてその作られた表示から追憶を創る。
この営為をしているとき、「もし僕の信念が間違っていて、世界が攻殻機動隊のようになることがあったなら、僕のこの表示だけは誰にも見せたくないし、他者のそれらも見たくない。そして、実際このような心配はしなくてもいいんだろうな。」と思う。それはたぶん、僕のGhostにしか生み出せない表示で、他者に関してもそうなんだろうなと思うから。

ちなみにカウボーイビバップと同じで音楽は菅野よう子。天才だな。
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