せーじ

ちむどんどんのせーじのレビュー・感想・評価

ちむどんどん(2021年製作のドラマ)
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巷でも騒がれているこの作品。
自分は一か月持たずに脱落してしまったのですが、この作品を題材に色々と考察できる部分もあるのではないかなと思い、Wikipediaなどであらすじを調べてから、ラスト二週だけ観てみました。
以下、そのうえでつらつらと書いていきます。

■ドラマと映画の作られ方について。
映画とドラマでは撮影の仕方も演技の付け方も全く異なるというのは、もしかしたらあまり知られていないことなのではないでしょうか。ドラマの方が放送期間が明確に決められているというのもあって、スケジュールがとてもタイトなのですよね。また、実際に放送される順番通りに撮るとは限らないケースが多いそうなのです。よって、場面場面の撮影はとてもスピーディーで断片的なことが多く、演技をする役者さん達には「瞬発力」が求められます。対して映画の撮影は作品にもよりますが、比較的ゆったりと時間が設けられ、順撮り(映画の物語通りに撮られていくスタイル)で撮られることも多く、監督と役者さん達の間で徐々に作り上げていくようなスタイルが多いそうです。もっとも、朝ドラの場合は更に特殊で、放送の一年数か月前から撮影を開始し、実際の放送のクライマックスに入ったあたりで撮影を終えるパターンがほとんどなので、ドラマの中では比較的時間をかけて作り上げていくコンテンツであると言えると思います。それでも、一週間当たり75分×半年分ということになりますから、通常の連続ドラマよりも分量は多いですよね。計算で出てくる時間ほど、実際には余裕があるとは言えないのかもしれません。そして、そういう「余裕の無さ」が、何に影響を及ぼすかというと…、そうですね、撮影は当然スタジオが中心になりますから室内劇が中心になりますし、舞台となる地域での撮影もほんの少しになってしまいます。スタジオ撮影が中心になると当然セット撮影になるので、リアリティが減じてしまう原因にもなりますし、なにより、役者さん達の演技のクオリティが映画などに比べると下がってしまいがちになってしまいます。またドラマは映画とは違って、そもそも脚本が、放送開始時点でも最後まで完成していないことも多く、作品全体のことを見通すのも難しかったりもします。
つまり、ドラマに「映画のようなクオリティ」を求めるというのは、流石に無茶だということなのですよね。出来ることや出来ないことが比較的明確になっているのに、なかなかそこは意識されないことが多いのではないかなと思うのです。

■「朝ドラ」に求められる演出とは
「朝ドラ」(連続テレビ小説)は、平日の毎朝8時からと12時から13時までのお昼休みの最後の15分間に放送されるドラマなので、「流し見」「ながら見」をされることが多く、映画の様に視聴環境を整えることが出来ないコンテンツです。そういう中で観てもらうためにどういう演出がなされるかというと、「わかりやすさ」が重要になってくるのですよね。
何かをしながら、なんなら1日2日飛ばしてしまったとしても、すぐに復帰できるようなわかりやすさがあった方がいいのだという考え方です。それに対して映画では、安易なわかりやすさは「悪」とされることが多く、説明的なセリフは嫌われ、セリフが無くとも登場人物の心情が読み取れるような作品が良しとされます。
そしてここからが重要なのですが、近年はドラマでも映画のような演出手法が好まれつつあるのですよね。理由は色々とあるのだと思いますが、一番の理由としては観る側の目が肥えつつあるからではないかなと思います。朝ドラでも『カーネーション』のような重厚でハイコンテクストな演出が高い評価を得たりしているので、「わかりやすさ」重視な演出は、少しずつ時代から取り残され、退潮をしているのかもしれません。

■なぜ「ちむどんどん」は批判されたのか
以上を踏まえて考えていくと、本作が批判されてしまったのは「視聴者の嗜好の変化に対応できず、"わかりやすさ"を履き違えてしまったから」なのではないかなと思います。
沖縄料理にはしっかり字幕で名前を載せ、劇伴は場面に応じて「わかりやすい」雰囲気のものを用意し「わかりやすく」かき鳴らしていき、ストーリーそのものも「夢を実現する素敵さ」を「わかりやすく」描き、逆にわかりにくい細かな要素には目を瞑ってチェックをせず、複雑な事情が入り組んでいる「沖縄の歴史」は軽く触れるだけにしておき、「わかりやすく」感動できる家族の絆「だけ」を大事にしてしまった結果、こういう作品になってしまったのだと思うのですよね。無理も無いです。かつてはそういう内容の作品でも受け入れられてきたこともあったのでしょうから。
ただ、そんなに甘くはなかった…ということなのでしょうね。

■本作の率直な感想と観なくなった理由
ひとことで言ってしまうと「演出全般が自分の好みにはまったく合わなかった」ことが観なくなった原因でした。
とにかく演出全般の出来が旧く感じてしまったのですよね。演技が説明的だとか、どういうラインが理想なのかとか、そういうことを論じる以前の問題で垢抜けていなくて、とても驚いてしまいました。特に酷かったのは劇伴と子役の子達の演技の付け方、そして穴だらけで何も見せようとしないプロット、でしょうか。役者さんたちには罪はないですし、与えられた中で頑張っていたのがよく見えただけに…酷かったです。
ちなみにウチの母はヒロインと同い年で、かつ、ヒロインの息子くんは自分と同い年なのですが、昭和60年の場面で、ランドセルを背負っていたので唖然としてしまいましたね…
もうその時点でいい加減な作りであることが明確で、自分はげんなりとしてしまいました。

※※

朝ドラは、半年ごとにファンとアンチが入れ替わるコンテンツなので、今作以降、変な分断が生まれなければいいなぁと思ってしまいます。
自分としては、本作は、物語や演出、劇伴の使い方などの「アウトプット」が全く好みに合わなかったのですけど、おそらくそれは「映画を観てきて、映画のような演出に惹かれているから」だからなのだと思います。
そのあたり、もっと深い所まで分析出来て、どうなのかを考えることが出来たらいいなと思いますね。
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