mizuki

デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士のmizukiのレビュー・感想・評価

5.0
ただ泣きながらみることしかできなかったです。無力。私の中で、ろう者に対する常識が正しく壊されました。にこにこ寛容でいるだけでは、発言していないのと同じ。柔らかくいたいなら、強くあらねばならない。じゃないと、自分が死んでしまう。このドラマは、美しくやってのけました。
同じ人間だ、ということはわかっている。でも、コーダ(親が聞こえない、聞こえる子ども)ならではの苦悩はわかっていなかった。その苦悩が人生にどう影響するかまで繋げて描かれていた。コーダは、転んでどんなに泣き叫んでも、耳の聞こえない親には気づいてもらえない。正直、とても辛いシーンでした。気づいてもらえないから、コーダは泣かない子供となっていく。それが、ゆくゆくは人に頼るのが苦手になる所以だと。…それは、コーダ目線の苦悩だし、'転んだことに気づいてあげられなかった親が一番悲しいのではないか'と、気づくところまで描いていたのがとてもよかった。
私の家族は全員、いわゆる"身体的なハンデ"は持っていない。でも、とても不器用で、お世辞にも子育てが上手とは言えない両親だったと思う、笑 今思うと、いい大人だったらそんな酷いこと言わないだろう、ということをたくさん言われてきた。でも、同時に、割と対等を心がけて接してくれていたということも感じる。両親とも、吐いたらブチギレて叩いたりするし、気分によって良いこと悪いこと全ての裁量が変わる。でも、絶対赤ちゃん言葉を使わないで育ててくれたり、いじめには意地でも乗るななど、法とかそういうことの前に正義が何か教えてくれたり。どちらかというと、この世をたくましく生き抜く方法を、かなり熱の入った方法で教えてくれていたからこそ、時にモラルのない方法を取ることもあったのかな、とか。まあ端的に表すとすれば、ロックとかパンクとかその辺の感じですかね。反骨精神植え付けられた。でもこの世って、変容していかないといけない。生々流転という言葉があるように、そこに留まっているように見えて、目まぐるしく変わっている。変わっていかないと、現状維持もできないわけで。だから、両親には、感謝している。強くなりすぎたかもしれないけど(笑)…親に何か言い返した時に、時々悲しそうな顔をして、口をつぐむことは何度もあった。それが、親の'気づいてあげられない悲しさ'なんだと思う。不器用な人ほど、案外自分から出た言葉に後悔して苦しんでいるもの。両親どちらも、基本的に謝れない人間。'人としてありがとうとごめんなさいは言えなきゃいけない'というモラルをよく世間で目にするけど、上手にできない人もいるのにな、とモヤモヤする。そう思えるようになったのは間違いなく両親のおかげ。

罪を犯さなければ守れない、その環境を作ったのは私たち一人一人かもしれない。マイノリティ、と呼ばれる人たちが、そう呼ばれる所以だと思っています。ただ自然体で生きたら、普通には生きられない。そんなことあっていいわけない。でもあっていいわけないことが、当たり前の世の中なのが、今。まだやれる。まだ全然変われる。自分だけが、普通に生きられれば、それで幸せですか?(私へ)

草彅くんの所作、美しい。手話通訳士の試験会場で居合わせた人に「あなたの手話、綺麗ね…!」と言われ、けっと思うシーンは、彼だから成り立つシーンのように思えた。

このドラマは、NHKの朝のニュースの、ドキュメンタリーのコーナーで知った。実際コーダで、コーダ役を担当した男の子のシーンもコーナーの中で丸々紹介されており、上手すぎてびっくりして録画予約した。'伝える必要がなければ、伝え方は上達しない'というのは、よく言われる話。表現者に苦労人が多いのは、解像度高く伝えられなければ生きられない環境で生活したことがあるからだと思っています。表現することが好きでしょうがなくて、上手くなった人もいるでしょうが…もう、その二分にできてしまうだろうなあと今のところは思います。私も表現することが好きですが、理由は両方かなあ。
コーダ役を演じたその俳優は、とても前向きな子で、オーディションに応募した理由が「コーダであることを辛いと思ってないことを両親に伝えたいから」らしいです(要約すると)。そのままの君でいて…不当に傷つけられることがないまま、前向きなままでいられることを願っています。私も協力する。
mizuki

mizuki