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誰もいない森の奥で木は音もなく倒れるのtakefourのレビュー・感想・評価

4.5
良いドラマだった。

「巻き込まれ型」のミステリは一ジャンルを形成するほど存在するが、このドラマのように犯罪が行われたホテル・貸別荘の経営者家族のその後を追ったミステリは記憶がない。
そういう意味では自分にとって、とても新鮮なミステリ(スリラー)ドラマだった。

本作では、犯罪に巻き込まれた市井の人々を「カエル」と表現している。道端にいたら運悪くクルマが撥ねた?石に当たってしまったカエル。
石に当たったカエルは即死してしまうか、悶え苦しんで息絶え絶えで生き続けるのか?

しかし、誰も見ていない(認識していない)ので、実際に存在しているかもわからない。

これがタイトルに通じる。
「誰もいない森の奥で木が倒れたときに音がするのか?」 

誰もいない森の奥で木が倒れた音は誰にも聞こえないが、実際に木は倒れており、倒れるときには物理的に大きな音を発している、はず。
倒れた木は周囲の草木をなぎ払い、場合によっては倒れた木の下敷きになって命を落とした小動物もいるかもしれない。

しかし、誰も聞いていない(認識していない)ので本当に音をたてたのか誰も知らない。

これは、よく耳にする認識論のひとつで、自分が死んでしまえば世界を認識できなくなるから、そこに世界は存在しないという若干乱暴な哲学に拠っている。

ドラマは、カエル=森の奥で倒れた木の音=事件の舞台となったモーテルと貸別荘の経営者家族、を主人公にふたつの時間軸で展開していく。

スマホが出てくるシーンとガラケーが出てくるシーンに、あれ?もしかして?と見ているとふたつの時間があることが見えてくる。2001年に起こった事件が、現在進行形の事件に大きな影響を与えていることが解ってくる。

幾筋もの細い糸を束ねて太い糸を縒るように、2001年の事件後に崩壊した日常と事件の風化具合を現在進行中の貸別荘事件と束ねて縒り上げて、太い物語を創り上げてゆく脚本がすばらしい。

貸別荘オーナー=ヨンハの行動は納得できない面もあった。
でも、これはタイトルに関係している。ヨンハは「倒れた木の音」を聞かなかったことにした。これが小さな瑕疵となってヨンハの日常を崩壊させていく。

追い詰められるヨンハに「なぜ警察に通報しないのか」という疑問がつきまとうが、解答は第5話と6話に用意されている。
交番のボミ所長の机で「2001年7月最初の事件」とメモされた写真を見つけて「モーテルの事件」を初めて知る。

第6話で、「私の貸別荘も同じ運命に?その写真は誰かの卓上に飾られ、その映像はニュースで流され続けるのか?」とヨンハ。

カエルを認識しないことにした貸別荘オーナー・ヨンハは自分がカエルになってしまう。
行動が手痛いしっぺ返しとなって帰って来て、石を飛ばしてきた女性サイコパスと渡り合うことになる。
このあたりがものすごくおもしろい。

見て見ぬふりをすることにしたヨンハに対し、警察の女性所長・ボミは、実際には聞いていない「木が倒れる音」を、周囲の状況から音がしたはずと推理して事件を解決に導いていく。

見て見ぬふりの末路はどうなったのか。
ふたつの事件を結びつけるグレーのラストも良かった。

物事には多角的な側面があり、価値観は人類の数だけ存在する。法とは人間社会に秩序を保つために作られたモノであって、物事の善悪を定める基準ではない。
このドラマに、水戸黄門的な勧善懲悪を期待すると迷宮に迷い込むことになる。

それでも市井の人々は強く生きてゆく。
生きてゆかねばならない。

女性サイコパス=ユ・ソンアを演じたコ・ミンシ、すごかったですね。
Natural born evil ではない彼女の変化を鬼気迫る演技で表現していた。
水が苦手だった一年前と苦手ではなくなった現在を比べるとよくわかる。
すごい演技者だった。
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