都市国家ギリシアの人々にとって学ぶということは、労働等以外の時間を使って自主的にやりたいことのひとつだった。学問や哲学に時間を費やせるのは、特権階級の証でもあった。そこで「余暇」を意味する「schole」から、英語のschoolという単語が生まれたらしい。そんなエピソードを思い出すドラマだった。
超弩級のツンデレ爆弾搭載、文科省エリートの御上先生。出向先である進学校の生徒たちにつけられたあだ名は「オカミ」。めちゃくちゃどうでもいいけど、私は松坂桃李が殿だった日々を今でも忘れてないので、殿感のある呼び名にワクワクしちゃうのよ。
それはさておき、御上先生は自らの信念に従って、国家レベルの巨悪と闘う。日曜劇場でこの「敵」なら、泥臭く暑苦しく劇的にといくらでもできそうなところを、今作では徹底的にそれらを排除してるのが印象に残る。
それどころか、未だに語り継がれる自局の学園ドラマを皮肉ったりもしてしまうなど、ドライなテイストにも見える。(あの金八トークについては、あのドラマが駄目だという表現でなく、「あんな教師ばかりでは教育は空回りする」という言葉を選んでいたのが、この作品のメッセージと合致してたな)
過激さを追求しすぎず、リアリティある温度で語られる、現代の教育現場が抱える(抱えきれなくなって、ポロポロとこぼれ落ちてもいる)いくつもの問題。
報道の義務と権利、教科書検定、金融教育、生理の貧困、ヤングケアラー、「きょうだい児」。そして「政治とカネ」と教育の癒着には、ここまで言っちゃっていいのかとハラハラさせられたよ。
これまでの学園ものでは扱われることのなかったものも含めたそれらの題材を、一般的なこととして描く現実感と、類型的にならないドラマ性とを両立させて繋げていく。「人生一周目」の富永さんをメイン生徒に据えながら、その家族をはっきり映さなかったのが典型的だな。
そして生徒役俳優陣の中ではかなりの注目度であるはずの髙石あかりがメインとなるエピソードがないまま、時折意味深なアップが挟まれるだけという状況で迎えた第9話ラスト。最後の最後ですごいの来たねーと大興奮よ!最終話への引きとして満点すぎるよ!
そうしてついに第10話。個人的なことは政治的なこと。頭の中の「答えの出ない質問」は、未来そのもの。新聞見出しに「クジャク」が載ってたり、裁判シーンでまさかの二人が贅沢すぎる登場をしてたりまで、全部ひっくるめて、最後の最後まで『御上先生』らしくやりきってくれた。
「考えて」と生徒たちに呼びかけ続けてきた。「これからも考え続ける、教育とは何か」と、「そして僕は行く」と、自らもまた同じ道を歩く決意を新たにする。蝶の使い方までなんて完璧なエンディング。
ただ、とてもとても丁寧で良心的、かつ時代に即したドラマだっただけに、残念なことが1点。制服!!ジェンダーレスを採用してほしかった!!!!!
それと、とっても不思議なこと、1点。兄・宏太(新原泰佑)が、Filmarksキャスト欄にも番組公式サイトにも、記載されてないのはどうして??超がつくほど重要人物なのに。