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負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~

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『負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~』のエピソード情報

第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

『負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~』に投稿された感想・評価

憲法9条、米軍、自衛権・・・今なお議論され続ける問題の発端をわかりやすく知ることが出来た。

麻生太郎の祖父、吉田茂。
安部元首相の前の、戦後唯一の国葬の先例。
GHQ(というよりほぼアメリカ)から日本の独立を目指し、サンフランシスコ平和条約、安保条約を結ぶ過程を5話構成でじっくり描く。

再軍備するか否か。
日本、アメリカともにどちらの意見もあり、落としどころに苦悩する。
朝鮮戦争による特需、マッカーサーの栄光と没落。
今まで注目してこなかったさまざまな視点から敗戦後の復興の様子を学べた。
マッカーサーが当時、吉田茂からリスペクトされていただけではなく、日本国民からの人気が高かったなんて初めて知った。吉田茂と対峙する人間マッカーサーを描く珍しいドラマ。

渡辺謙はいつでも素敵だし、豪華俳優陣も全員良かった!吉田栄作って良い俳優になってたんだね。

エンディングに日本人ではなくアメリカ人歌手を使うという大胆さには思わず笑ってしまう。NHKであっても規定路線ではいかないという強い意思が見えた。

白洲次郎って何者ー!
フィクサーのような。
今回、一番気になる人物だった。
次は白洲次郎を見ようと決意。
戦後史のイッキ見体験として秀悦。渡辺謙、怪演すぎ。よくわかったよ、いま、なんでこうなってんだか。
れいな

れいなの感想・評価

3.8
前提知識があるとより楽しめます👇😊

【吉田茂年表】

1881年(4歳)貿易商・吉田健三の養子となる。

1906年(29歳)東京帝国大学卒業。外務省入省。

外務省の同期に後の内閣総理大臣、そして後にA級戦犯となる広田弘毅(こうき)がいる。

1909年(32歳)牧野伸顕(大久保利通の次男)の長女(雪子)と結婚。ロンドン・ローマに赴任。

1919年(42歳)牧野がパリ講和会議の全権を務める際には、吉田も随行。この時に第一次世界大戦に敗北したドイツを見て、敗戦国になることの恐ろしさを知る。

1922年(45歳)天津総領事となる。

1928年(51歳)外務次官となる。

1930年(53歳)駐イタリア大使となる。

1936年(59歳)広田弘毅内閣の外務大臣候補になる。駐イギリス大使となる。
しかし、その後の日独伊三国同盟により、日本とイギリスの関係が悪化し帰国。

1938年(61歳)三女和子と、そのとき交流のあった白洲次郎の紹介で麻生鉱業社長の麻生太賀吉が結婚。そして生まれたのが、麻生太郎

1939年(62歳)外務省を辞める。この時に妻の雪子を亡くす。

【ドラマはここからスタート】

1945年(68歳)
  【4月】同じく戦争を反対する鳩山一郎(はとやまいちろう)らと、和平への道を歩む内閣を作ろうとした事がバレて憲兵隊に逮捕される。このドラマの冒頭では、牢屋に入れられた吉田のシーンからスタートしている。
  【9月】外務大臣に就任し、政治家となる。

1946年(69歳)内閣総理大臣に就任。日本国憲法公布。

鳩山一郎に、①金作りはやらない②閣僚の選考に口出しはしない③辞めたくなったらいつでも辞める、という3条件を提示し内閣総理大臣を引き受ける。(後にこれが問題になる...)

1947年(70歳)総選挙で日本社会党に負け、内閣総辞職

1948年(71歳)第2次吉田内閣を組閣する。

1951年(74歳)サンフランシスコ平和条約により、国際社会へと復帰・日米安全保障条約に調印(第3次吉田内閣)。

まだやり残したことがあるといって「抜き打ち解散」と呼ばれる強攻策を使う。解散後、吉田には「日本独立に一役買った」との世論からの支持がり、また鳩山は突然の解散のせいで選挙の準備などができず、 結果吉田が当選し、第4次吉田内閣が発足

1953年(76歳)バカヤロー解散(第4次吉田内閣)。

1954年(77歳)内閣総辞職(第5次吉田内閣)。

1963年(86歳)政界を引退する。

1964年(87歳)東京オリンピック、マッカーサーはその6ヶ月前に亡くなり日本の復興のシンボルであるオリンピックを見ることができなかった。

1967年(90歳)神奈川県の大磯で永眠。戦後唯一の国葬。


【感想】

安全保障について少し興味はあったが、難しそうなので食わず嫌いしていた。しかし、吉田茂の政策を調べれば、現在の安全保障問題に繋がる。とても勉強になった。そして、サンフランシスコ平和条約や安全保障条約には吉田茂の強い思いがあったからこそ成し得たことだと、このドラマを通して知れて良かった。
話は変わるが、68歳で政治家になってから政界を引退する86歳まで高齢にもかかわらず、18年間も政治家を務めており感心した。It's never too late to learn という諺があるが、まさにその通りである。自分も早期リタイアするのではなく体力があり続ける限り、吉田茂のように夢と信念を持って未来を創り上げる社会人になりたいと強く思った。