悪は巨大だ。それを思い知るたびに、覚えている傷痕の全部がひりひりと痛み出す気がする。指の先が冷たくなる。圧制され、手も足も出ず、何を言ってもどんな手応えもなく、戦うか/目を閉じるかと常に自分自身に問い続ける長く果てない時間のことを、わたしも少しは知っているし、わたしたちはきっと皆が少しずつ知っている。目に見えず、匂いもないそれが、わたしたちをどんな速度で蝕み、何を奪い、どう食い尽くすのか、科学者も芸術家も、目前にある生活を慈しんでいるだけの人も、皆が少しずつ分かっている。絶望に呑み込まれて消えていくのは、いつも先頭に立ち戦い続けた人であることも、分かっている。わたしに何ができるかといつも考える。どう生きてどう死んでいくか。何を信じ、時にそれを打ち砕かれるか。何に絶望し、それに打ち勝てるか。真実のために尊厳のために、最後まで戦った人たちの姿を見て、わたしには、誰かのことで苦しみ、誰かのために立ち上がる力がちゃんとあるか、と考える。
以前、東海村臨界事故のドキュメンタリーを見たとき、被曝により亡くなった作業員の奥様が、担当医師にこのような手紙を書かれていたのを知った、「原子力に頼って生きていかなくてはならない以上、また同じような事故が起こるのではないか/所詮人間のすることだからという不信感は拭い去れない/原子力に携わる人々に自らの身を守るすべがないのならば、せめて医療で彼らを救える日が来るようにと願う」。東日本大震災および福島第一原子力発電所事故のことをおもう、原子力発電所計画中の地域で今も起きている反対運動のことをおもう。この先の未来で、少しでも多くの人が、多くの土地が、多くの動植物という命たちが、守られていくように、目に見えず匂いもしない巨大な悪によって殺されることがないように、占領や圧制により苦しむことがないようにと祈っている、それが終わることを祈っている、伝え聞いた痛みと苦しみのことを決して忘れることなく 絶望に屈することなく 生きていきたい。