膝のうえで甘えているねこが、ひっくりかえって喉を鳴らしたり、わたしのおなかに顔を埋めたり、ときには転がり落ちそうになって慌ててまっすぐに戻るようすを見て、ふふ、と笑うあのときの、泣きたいような、くすぐ>>続きを読む
たったひとり孤独に支配されて泣き出してしまう夜の中でも、愛しているひとの眠る姿を見つめる静かな夜の中でも、わたしが考えていることは、きっとおなじだとおもう。街が暗くなるたびに窓の多さを知って、灯りがひ>>続きを読む
貸切状態の劇場にはじめて入ったあの夜、上映前にスクリーンの前ででたらめに踊っていた数分間を思い出す。わたしにとってわたしが内がわで、そのほかのぜんぶが外がわなら、中と外を完全に切り離してしまえるあんな>>続きを読む
あこがれがあなたの中で燃えながらかがやく宝石だから、砕けそうに震え際限なくまわりつづける光が、こわすことも統べることもそれが引き起こすどんな痛みもこえてこのわたしを貫きいちばん深くまで沈める。はじまり>>続きを読む
差し出された手をとったひとにしか見ることのできない顔があって、踏まれてしまいそうな花の名前を知っているひとにしか行くことのできない道があるとおもう。わたしの記憶の大部分はそればかりで埋まっていて、それ>>続きを読む
社会の荒波にもまれて消えてしまいたかった頃のわたしを救ってくれたのはアイドルだったし、今だって何も変わらずそうなんだ、っていうのをμ'sを見ていて何度も何度も考えたし思い知った。ステージに立つ姿も舞台>>続きを読む
人じゃなかったら、きっと大きな木だろう、と感じるひとのことをいつも好きになる。そういうひとの隣にいるとき、静かな影ややわらかな光に、そっと抱かれているようなきもちになる。わたしは凪いだ風か、季節のすき>>続きを読む
好き、という言葉を、だれかに、そのままの意味だけをこめて、受け取られかたを恐れたりもせずに、言えるようになったのは、最近のことだ。そのあいてが今(あるいはこれから)、わたしのことをどんなふうに好きで、>>続きを読む
だれかといるときよりも、ひとりになったときのほうが、わたしはわたしの愛を感じられる。凪いだ時間の中ではじめて自由になれる。記憶のことは守らなくていいから。もうわたしのなかで守られているから。自分のかな>>続きを読む
もしもわたしが彼女と出会ったら、きっと共鳴する体験も笑いあえるような会話も一度すらできないだろう、と思うくらいにわたしは彼女とは思想も過去も使う言葉も生きてきた体も何もかもが違う人間だった。それでもわ>>続きを読む
わたしのいのちは、そこに存在しはじめた瞬間からわたしだけのもので、だれになじられても、どんな支配を受けても、そのせいで自分自身を愛せなくなったとしても、猫はわたしの手のこうに額をよせ、鳥はわたしの目に>>続きを読む
家に帰る途中で、ある建物の存在が目にとまった。毎日ではないけれど、月に2度か3度は通っている道で、ずっとそこにあったのは確かなんだけど、意識して見たのはこの日がはじめてだった。あと30分もすれば空が>>続きを読む
高校生の頃のわたしは、ゆうやけは世界中の今日のかなしいことを燃やしているんだと信じていて、毎日帰り道に写真を撮って、詩を書いていた。あさやけみたいなゆうやけを見ることも多かったことを思い出して、きのう>>続きを読む
わたしはクィアとして生きてきて、それを自覚するまえにも自認するようになったあとにも、自分の考えや想いを伝えたりカミングアウトをした場面で、心地よく笑えていたことはほとんどなかった。「それを愛とは呼ばな>>続きを読む
だれかを抱きしめたり、だれかに抱きしめられる夢をよく見る。それはいつも目がさめる少し前に、数分間だけ見る夢で、あいては、女の人のときも男の人のときもあって、こどものときもおとなのときもあって、知ってる>>続きを読む
生まれてくるまえの姿や、生まれてから間もない頃の記憶や、わたしのことをずっと待っているはずの何かに、つづいていそうな細い道だけをいつも選び、ここまできた。〝花や草やいきものの名前を、見えるかぎり、すべ>>続きを読む
死について考えるとき、渡船で渡った小さな離島の海岸で、空を飛ぶときのように羽を広げた姿で死んでいた海鳥のことを思い出す。今まで家族や親しい人の死を経験したことがないから、わたしにとっての死のイメージは>>続きを読む
春の日を思い出すとき、かならずわたしはひとり広いところに放り出されていて、ずっととおくで子どもたちの笑い声が響いていて、自分のまつ毛がおとす影さえ冷たく感じるほどに照らされていて、あのとき泣いていた>>続きを読む
夜には灯りがあって、寝室には静けさがあって、わたしにはあなたがいます。夜がいちばん青くなるときは、夜が明ける一瞬前なのだと気づいたのは、はじめて眠れなかった日だった。悲しみは青く、幽霊は青く、雨の日の>>続きを読む
わたしは天国にも詩があると信じている。ビクトル・エリセは、天国にも映画があると信じているのかもしれない。きのうの夕方、この映画を観ているとき、自分がいつも映像の中の何を見ているのかが、不意にわからなく>>続きを読む
眠る時間さえ惜しいほど忙しい毎日の中で、通勤の時間、浴槽で目をとじてる時間、ベッドに入る前の時間、そういうわずかな隙間に「元気にしているんだろうか」と思い出すひとたちが、ひとりずつ、ソヒの姿と重なって>>続きを読む
この世に、たったひとりしかいないあなたの、ほんとうのしあわせには、この世のすべてをあわせても足りないくらいのおおきな意味が、あるのかもしれない。そう本気で思うほど育ったこの心に、わたしの名札をつけれ>>続きを読む
あいしているいきもののからだをこの手で撫でてみるとき、ちいさな地球にふれているような気持ちになる。たとえばねこを撫でるとき、毛なみは、重く濡れて静まる夏の早朝の森のようで、たえまなく波をうちつづける冬>>続きを読む
書くことも話すことも本当はしたくないのかもしれないとおもうことが、ときどきある。何も書かず、何も話さず、だまって生を終える。それができていたら、少なくとも今よりはずっと幸せで、今の半分くらいは何も考え>>続きを読む
わたしが、ほんとうの意味のやさしいひととなるのは、いつだろうか。この映画を観ている途中に、それを考え始めて、今日はやさしさというものが何もわからなくなって、長い散歩をした。少し前まであんなに寒かったの>>続きを読む
わたしの内側には、外側の世界よりもずっと広い場所があって、日常の透き間でふいにその場所まで行けたとき、わたしはこのままどんなに不幸になってもわたしのままで生きていけるだろう、とおもう。日曜日の夜に、市>>続きを読む
エドワード・ヤンがあやつる時間の波に身をゆだねていると、わたしはわたしの持つ最も古い記憶のもとまで戻って、そのまま、名前もかおも知らないだれかの中にはいっていきそうになる。たった一時間や二時間で、はじ>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
始まって5分ほどで「最高」の賛辞に代わる涙が出ました。馬に乗り走っている3人の人間に命中するまで何度も何度も拳銃の引き金が引かれるが、ジョン・ウィックはその中の1発たりとも馬には当てなかった。それを見>>続きを読む
グレタ・ガーウィグが、この時代を生きる一人の女性/人間として、わたしたちに関わってくるその方法は、いつも魔法そのものではないですかとこの映画を見ていて思った。「ずっと好きで、ずっと味方だと思ってきたの>>続きを読む
止まらない時間の中で泊まっていたくなるときがある。夜に向かう夕暮れの時間、陸橋の上から見下ろす、渋滞した道路の、一台一台の車の中に、どんな人たちがいるのかを想像するときもそうだ。家族とうまく話し合えな>>続きを読む
体感2時間半の90分を過ごし、全く面白くなかったはずのこの映画について、3ヶ月経った今でも考えてしまっていて、わたしの心は「これは最高の映画で間違いない」と認めたくてたまらなくなっている。まず、塗装業>>続きを読む
「人が畑に入るときほど美しいものはない」と作中で語られたとき、わたしが毎日のように聞いているラジオ番組のパーソナリティが、都会に住む人から地方へのある批判を受けた日に、「今のあなたは田舎には何もなくて>>続きを読む
わたしを見つめるときのあなたの目や、わたしに触れるときのあなたの指や、わたしを遠くから呼ぶときのあなたのこえが、わたしの知るやさしさのすべてで、だからおもう、やさしさというのは、やまない雨や、あけない>>続きを読む
もう陽がほとんど沈んだころ、映画が終わって、そのまましんだように眠った。シーツは草原のようにやわく、タオルケットは風のようにかるく、わたしの肩と胸の下でつぶれた毛布は、呼吸するいきもののようだった。心>>続きを読む
声をもたないものたちとかかわるとき、言葉を交わせたら聞いてみたいことが頭にうかぶけれど、そのこたえは、本当はずっと前に、すでにもらっているのだとおもう。クリスマスの歌が幼い子たちを笑顔にして、冬の冷た>>続きを読む
わたしの中に、もう何年も前から存在している物語がある。一人の少女と一匹の獣がいろんな惑星に移り住みながら生きることを続けていく話で、頻繁に続きを考えるわけではないけれど、年に何度か、突然に彼女たちのこ>>続きを読む