ClaudeFelix

ワンダヴィジョンのClaudeFelixのレビュー・感想・評価

ワンダヴィジョン(2021年製作のドラマ)
4.0
ドラマツルギーへの問い掛けとも言えるし、物語を作る事そのものが思考実験とも受け取れるサイコホラーな良作でした。
パートナーや家族がいるとは言え、インセルのような「孤独」がもたらす無差別殺人や、PTSDも想起させ、その閉ざされた苦々しい心の闇をシットコムの甘いオブラートで包む。それを小綺麗にまとめたスタッフの手腕には感服しました。
マーベルユニバースの視野を広げる意味でも意義深い作品だと思います。

とにかく、予告編や予告ビジュアルが秀逸で、このドラマが観たいが為だけに、あんなに毛嫌いしてたディズニー+にまで入ってしまいました。

(要注意★以下ネタバレあり)

ドラマの大半の時間を占めレビューでも評判があまり宜しくないシットコムの場面ですが…むしろアレこそが観たかったので個人的には大大満足。
「奥様は魔女」を想起させる見事な演出(大袈裟な英語アクセントもたまらん)、そこに演技からスタイルまで寄せ切ったワンダこと、エリザベス・オルセンと、ヴィジョンことポール・ベタニーの夫婦。のりのりの二人に脇役が絡み、最高にベタでチープで愛おしいシットコムが繰り広げられていきます。何より、ヒーロー物を期待した視聴者が、ドン引きし腰を抜かすのを想像するだけで笑えます。
それだけに、制作側のチャレンジ精神や、ひいてはディズニーと組んだ事でどれだけ潤沢な資金や製作陣を配することができたのかと、アメリカ映画界を謳歌する今のマーベルを窺い知るエポックな作品でしょう。

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シットコム自体がそう言う性質を帯びてるとは言え、デビット・リンチか、ジョン・ウォーターズへのオマージュと錯覚するほどの過度でキッチュな演出がたまりません。
露悪的なノスタルジー嗜好が、時代別にオープニングからエンディングまで執拗に何度も描かれる様は、ただただ圧巻の一言に尽きます。
これが前菜だとして(メインディッシュのバトルを抜いて)も、むしろシットコムをおかわりしたいほど素晴らしかったです。
いっそのこと、マーベル・ユニバースの1つとしてではなく、(「ベター・コール・ソール」よろしく)スピンオフものとして完結して欲しかったとさえ思えます。

「ベター・コール・ソール」と言えば、アベンジャーズ本部のワンダ部屋でヴィジョンと観てたシットコムに、「ブレイキング・バッド」の先生ことブライアン・クランストンが出演してた気がします。なんのドラマか分からないけど、魔女つながりの「サブリナ」だったら、それはそれで意味深すぎるし、これも伏線とするなら流石です。

子供時代の記憶がテレビドラマに侵されてるってネタで思い出すのがビル・マーレー主演の「3人のゴースト」。コメディだけど、テレビドラマが子供に与えた影響など考慮すると類似性はある気がします。(「バニラ・スカイ」との類似点は考えない事にして…シットコム以外だと「トゥルーマン・ショー」「アダプテーション」「アナイアレイション」「キャリー」「ランボー」の要素も垣間見れます)

親の仕事柄からシットコムに馴染みがあったにせよ、あそこまで心酔しトラウマの逃避先にまでするとは、「3人のゴースト」同様の幼少期「ドラマ脳」の闇深さを感じました。
とは言え、ニコ動の「マクガイヤー・チャンネル」での発言じゃないけど、「ワンダちゃんは、いくらなんでもアメリカのシットコムに精通しすぎでしょ?」なる突っ込みには激しく同意しますね。

とにかくも、アベンジャーズにもチラッと出てくる、ワンダの故郷ソコヴィアの内紛をもっと詳細に描けば、印象はもっと濃い物になった気がします。
ワンダ姉弟しかり、アイアンマン2のミッキー・ロークしかり、アメリカのネオコン軍需産業なんぞ糞喰らえ。だけど、シットコムへの愛には抗えずアメリカンライフ(サバービア)に腰までどっぷり浸かりたい。
この相反する感情が、極端な理想主義(なイリュージョン)かつ、ヒステリック(なグラマー)にワンダを変えてしまったんだと思います。

まさに愛憎まみれたアプローチを、アメリカの中からではなく、外から描くアベンジャーズ唯一のキャラクターこそワンダではないでしょうか?

※ ちなみにイリュージョンとワンダの素敵な件は以下第2話をご参照下さいませ。

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シットコムのドジっ子奥様を嬉々として演じるワンダ。その高揚感が増すにつれ、可愛らしくもどこか不気味で、不穏な空気が世界に散りばめられていきます。

お節介な隣人アグネスとの記念日を巡るナンセンスな会話や、会社でのヴィジョンのシンセゾイド由来のジョーク、ビートニクスや共産主義を揶揄する描写など、それらしく描かれつつ、シットコム内の違和感が澱のように堆積していきます。

1話終盤、ヴィジョンの会社上司夫婦を迎えてのディナー中、ワンダの作った食事で上司が喉を詰まらせる場面。この落差は本当に強烈でした。引き絵のアングルが寄りに代わり、音楽や演出の不穏さは「イレイザー・ヘッド」を想わせます。
私見ですが、あれは食事で喉を詰まらせたのではないと思いました。「結婚して何年か?」さえまともに答えられないワンダに気を悪くした上司が机を叩いた瞬間、ワンダが世界をコントロールできなくなった。その結果かと思います。詰まらせるタイミングも妙だし、ソーセージを食べた様子もない。
事なきを得てハッピーエンドになると、そのまま、シットコムのエンディングに突入。そこから改めてワンダ・ヴィジョンのエンドクレジットにと、いちいち手が込んでいます。

2話目となると、オープニングアニメからして「奥様は魔女」の完璧なオマージュでスタート。ワンダとヴィジョンのナンセンスなやりとりにも磨きが掛かりつつ、シンセゾイド故のジョークも健在です。二人のセクシーさとキュートさも最高潮の中、不穏さも加速していきます。
袋小路の女王ことドッティを紹介される際に、アグネスから忠告を受けます。「彼女は、この街の鍵だから、とにかく言動には用心しなさい」と。「普段通りにしてれば大丈夫よ」と楽観視するワンダに対して、失笑するアグネス。この些細な会話も実に意味深でゾッしました。

前回は、CMで流れたスターク社製トースターのパイロットランプが、唯一のパートカラーでしたが、今回は、ソードのマークの入ったヘリの玩具や、グラスの破片で切れた掌の血とより物騒に。
ドッティの握ったグラスが割れ流れる血の場面、その際にラジオから流れる曲が、ビーチボーイズの「ヘルプ・ミー・ロンダ」。サビ部分で繰り返し繰り返し「ヘルプ・ミー・ロンダ」と歌う誰もが耳した事のある名曲。これが、ヘルプ・ミー・ワンダにも聞こえるわ、繰り返すわで、超絶不気味。更に、このヘルプのサビ部分の音量が上がり、ノイズが雑るその合間に別な声がラジオから漏れると言う。この気色悪さは、まさにサイコホラーでした。
気になる方は、歌詞も検索されると良いと思います。ポップな音とは裏腹に、とにかく異様な数の「ヘルプ」が歌われ、更に歌詞にも

「彼女に文句を言われてから
ずっと頭が痛いんだよ
夜遅く帰っては
朝にはベッドに寝てるだけさ
助けてよ ロンダ
手伝ってくれ
彼女を僕の心から追い出したいのさ」

夫婦になり損ねた彼女に執拗に言い寄るも忘れられず、頼むから頭や心から追い出しくれと言う内容ですが。
もうどう考えても、ワンダを追い出してくれとの叫びにしか聞こえません。

軽快なシットコムの隙間に、唐突にねじこまれるセリフや間(ま)の演出もさる事ながら、役者の演技がとにかく秀逸です。

掌に怪我をしたドッティのセリフも効いています。
「クイズを1つ。血の染みを落とす一番の方法はなんだと思う?」「自分ですることよ」
流された血は自らの手で落とせ(かたをつけろ)と言う事でしょうね。

その後、ドッティの仕切る「子供のためのタレントショー」にて、イリュージョンとグラマーの呼び名で手品を披露するヴィジョンとワンダ。まるで酩酊したように奇行を繰り返すヴィジョンをワンダのケアでマジックショーは事なきを得ます。原因を調べると、食べ慣れないガムが体内の歯車に絡んだせいだと。それを事も無げに取り除くワンダですが、それなら前話のディナーでの一件はなんだっんでしょうか?何故ヴィジョンに頼んだのでしょうか?
想定できなかった事が想定できると、安易な連想ゲームに回収し、楽観論として覆し、お気楽な夢物語に紡いでいく。この安易さが、シットコムのせいで自然に見えるのがとにかく恐ろしい。
この後の妊娠や、その顛末も、ご都合主義というよりは、日和見な機会主義(オプティミスト)を想わせ。このシットコムの世界が、ワンダの精神的な幼さ、もしくは自意識の及ばない夢そのものが現実化してるのだと。そう感じると一層気持ちが悪くなります。

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1話で1950年代、2話で1960年代と続く第3話の1970年代。カラー放送になったワンダは妊娠中もあって能力をコントロールできずに、家はてんやわんわの大騒ぎ(by 笠置シヅ子)。

妊娠したワンダに、「男の子なら「トミーと名付けたい。トミーはシェークスピアに由来している。この世は舞台、人は皆役者だ」と提案するヴィジョン。
(※トミーがシェークスピアの何に由来するのかは調べても分かりませんでした…「サー・トマス・モア」のシェークスピア加筆説かな?)
それと対照的に「男の子ならビリーよ。物凄くアメリカ的なね。」と返すワンダ。
ヴィジョンの発言も意味深ですが、ワンダのそれも実に分かりやすい。
分かりやすいと言えば、妊娠が始まったのも、手品を披露した「子供のためのタレントショー」(ちなみに子供が一切登場しない異様さはスルーされてます)でのスローガン「For the Children」がキッカケでしょう。更に、先程の命名の問題から、双子を産む流れ。何よりワンダ自身が双子の姉弟ですからね。
ドラマとは関係ないですが、ワンダ役のエリザベス・オルセンの姉達は、1987年放送のシットコム「フルハウス」に出演してた双子だそうで。もう、この出自だけでもこのドラマの成り立ちがうかがえます。

出産を手伝ってくれた黒人女性ジェラルディンが、ソードから来たモニカ・ランボーと分かる否や激オコ。ウェスト・ビューの外まで飛ばされエンディングなのですが、ここで流れるのが、モンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」。
直訳すると、白昼夢を信じる人。

寝坊助で夢見心地な主人公と人気者(学園祭のクイーン)だった彼女は、幸せな生活(結婚)を初めてとても幸せだけど、ちょっぴり不安?

と言った内容の歌詞からも分かるとおり、ワンダに少し疑い持ち初めたヴィジョンの心情を表してる気がしました。

さて。4話になると、飛ばされたモニカ・ランボーや、ソード、対ワンダの為に集まった研究者など、ウェスト・ビューの外の世界が描かれます。
この辺の詳細は、マーベルファンのレビューなどに任せるとして、ラスト、ワンダに疑問を持ち始めたヴィジョンとの間で初めて?の夫婦喧嘩が勃発。そこに想定外の来客が訪問し、度肝を抜かれます。
そのエンディングで流れるのが、あろうことか、ジミー・ヘンドリックスの「ブゥードゥー・チャイルド」。

「俺は山のとなりに立っている
そして、それをざく切りにするんだ
俺の手の角を使って

俺は山のとなりに立って
それをざく切りにするんだ
俺の手の角を使って

俺はそのカケラを拾い上げて
島を作る
少しだけ砂を盛り上げるかもな
俺はブードゥー教の子供だから
主は知っている、
俺はブードゥー教の子供

俺は取り上げるつもりはなかったんだ
お前の甘い時間を
すぐさまお前に返すぜ
そんな日々を」

…もう、そのまんまの意味と受け取っていいでしょうね、明らかに次の5話の展開を示唆してると思われます。


……4話目まで書いてこの文字量。書きたい事が多すぎますね。気が向いたら、また続きを書こうかなと。

最後に…

後半にもある、お約束のバトルシーンですが、あのドンパチをファンが期待するのって、エロビデオの本番しか観たくないので早送りする感じに思えてならないんですよね。
その辺を言うと、もっと普通に楽しめよと、更には純粋に楽しめないなら、観なければいいじゃんとのご意見をブロックバスター作品しか興味なさそうな映画ファンから聞かされるわけで、大変に耳が痛い。
メガヒット作品って結局、コアなファンでも、にわかファンでもなく、惰性で観させられてる、半ば義務的に超大作に感謝し、ありがたがってくれる観客層によって支えられてるんだなって思った次第です。
ClaudeFelix

ClaudeFelix