レインウォッチャー

ワンダヴィジョンのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ワンダヴィジョン(2021年製作のドラマ)
4.5
シーズンの前半、突如始まったワンダとヴィジョンによるホームコメディ。

所謂シットコム、ホームドラマの歴史を一話ごとに時代を下りながら振り返る。各話異様な完成度(再現度)で、その試みだけでメタ的な遊び心に溢れていて楽しい。
それは同時に、何が世の中で「幸福」とされていたかの変遷を表現しているし、ひとりの女性の人生史と観ることもできる。

そして4話、ジミ・ヘンドリクスの『Voodoo Chile』が鳴り響き、ひとつめの真実が露わになる。
"I didn’t mean to take up all your sweet time."…

ワンダに限らず、MCUのヒーローたちは多くが何らかの「喪失」と共にある。
それと向き合い、どうにか癒すための過程が彼女の能力となり、今作の物語となっている。そこには歴史の中で、虚構の中で、必死に「幸福」のすがたを探し求める一人間としてのワンダがいて、どうしたって胸を打つ。
MCU(に限らず'00年代以降の多くのヒーロー映画)がトライしてきた「ヒーローの環俗」アプローチが、最も純度高く抽象化に成功している作品といえるのではないだろうか。

後半になってもうひとつの種明かしがあり、ある人物がワンダの敵として立ちはだかるけれど、その真の悪はワンダのリハビリ過程における美味しいところだけを探り自らの利益としようとしたところにあると思う。

これはつまり話題(=金)になると知ればセンシティブな状況にあるセレブやタレントにも平気で群がるメディアや、面白がって拡散する心無いSNSユーザーなどの立ち居振る舞いと重なるところもあるといえるし、悲しいことだけれど「ヒーロー」を過度に期待して正義を強いるわたしたちの鏡像でもある。
そう考えると、魔女狩りなんて言葉もまたどこかメタフォリカルだ。

かつてあのダイアナ妃が今際の際に遺したとされる言葉、「Please leave me alone.」を思い出してしまったのはわたしだけだろうか?
魔女を呼び覚ましたのは他ならぬわたしたちかもしれないのだ。今後の展開はもう、楽しみも怖さも半々…。

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今作があるからこそ、わたしが『ドクター・ストレンジMOM』に望むことはというと

・IMAX3Dを駆使した驚愕のミラーディメンション?
ノン、ノン。
・MCUヒーロー奇跡のコラボ?
ノン、ノン、ノン。

「ワンダの幸せ」一択!なのよ!頼むぜライミ、ほんと!