ヨーク

金の糸のヨークのレビュー・感想・評価

金の糸(2019年製作の映画)
4.4
ジョージア映画祭12本目。
これは素晴らしい映画でした。この12本目まで観た時点で『大いなる緑の谷』と並んで最高に良かった作品でした。しかしこの『金の糸』という作品は単品で観てもそこまでではないというか、ラナ・ゴゴベリゼ監督が91歳にして撮ったいわゆる人生の集大成的な作品なのでぶっちゃけラナ・ゴゴベリゼ作品を主要なものだけでも数本は観ていないとグッとくるようなところはあんまりないような気もする。個人的には今回2024年のジョージア映画祭ではラナ・ゴゴベリゼ作品を集中的に観ていたのでそれらの作品が全て糸で繋がっていくような感動を覚えました。これは作品の観る順番とかにもよるだろうけど俺はかなり理想的な順番で観ることができたんじゃないかなと思う。まさに作家としての集大成を感じる作品でした。
お話は今まで俺が書いた同監督の作品である『渦巻』『インタビュアー』『ペチョラ川のワルツ』辺りがモロにベースにあってというか、それらの作品は全てラナ・ゴゴベリゼという人の実体験に基づいた作品群なのだがそれらの作品にあるすべての要素が破綻なくまとまっていてある一つの結論に導かれるという映画でした。
物語自体はかつて作家であった主人公のエレネが79歳の誕生日を迎えたところから始まる。彼女は娘夫婦と同居しているのだが彼女の誕生日を覚えているものは誰もいない。そんなときに鳴り響いた電話に出るとその電話の主は60年前の恋人アルチルで彼は唯一エレネの誕生日を祝い、それからかつての恋人同士での電話を通じての交友が始まる。またそれと同時に娘の夫の母親であるミランダは一人暮らしをしていたっぽいのだがアルツハイマーの症状が出るようになりエレネの家で同居することになる。娘婿の母と同居とか絶対嫌だよなって思うけど彼女がアルツハイマーならば放っておくわけにもいくまい、というところなのだが実はミランダは旧ソ連で高官を務めた女性であり、エレネとは並々ならぬ因縁があるのだった。かつての恋人と仇敵とも言える娘婿の母親、彼らとの過去の関係を通じて老境を迎えたエレネが自分の人生を締めくくるという物語である。
まぁ大体察しは付くのではないかと思うが、主人公のエレネという老女は本作の監督であるラナ・ゴゴベリゼを投影したキャラクターである。その背景は監督自身とほとんど同じでかつて母親が人民の敵だとか反乱分子だとかであるという理由でソ連政権下に極地送りにされた経験を持ち、反骨精神で以て表現活動を続けていたがそれもソ連からの弾圧で潰されたという経験を持っている。かつては恋人のアルチルと共に理想に燃えたがお互いに大人となってそれぞれの穏やかな人生を送るようになった。また、これも勘の良い人ならあらすじ紹介で気付くだろうからネタバレとか構わずに書くとアルツハイマーになって同居する娘婿の母親ミランダはかつてソ連時代にエレネの表現活動を弾圧した張本人なのである。
ソ連の周辺国であるジョージア人として時に苦汁をなめながらも生きのびてきたエレネは最晩年となったときに、かつて恋人同士としてジョージアのために活動していた男と憎き中央政府の犬だった女が遥か彼方の過去のものだと思っていた薄ぼやけた記憶の中から現れてきて改めて自身の人生の一部として対峙することになるわけである。それはまぁ面白いですよね。繰り返しになるがラナ・ゴゴベリゼという人のことをあらかじめ知っていないと単なる老人の終活映画って感じにしか映らないだろうが、彼女のこれまでの作品を観てどういう人生を送って来た人物なのかを少しは知っていると、そこにはジョージアとソ連、システムと個人、男と女といった様々な簡単には相容れない要素が詰め込まれていることに気付くはずである。
そして上記したようにそれらの重層的なテーマが折り重なりながらも特に目立った破綻もなく人生の最晩年を迎えた一人の人間の物語として完成されているのである。まぁ、ラナ・ゴゴベリゼという人の作品は大抵がそうであるように本作も物語の構成としての面白さという娯楽映画的な感じは一切なくてひたすら地味な画が続きながら地味な昔語りと軽いユーモアが展開されるだけの映画なので、ぶっちゃけ誰にでもオススメできるような映画ではないのだが俺としては非常にグッとくる映画でしたよ。そこはまぁ、79歳には程遠いが俺自身が過去を懐かしむ年齢に達したということもあるのかもしれないが、やったことないから想像でしかないが織物の最後を仕上げるときってこういう気持ちなのかなって思いましたね。ここまで幾重にもわたって編み続けた糸が最後に収束する地点が見えたとき、多分本作はそういうものを描いたのだと思う。
タイトルである『金の糸』というのは日本の金接ぎから着想を得たものであるらしく、過去の諍いや後悔や確執なんかを全部黄金で繋ぎとめようという監督の想いを表したものであるらしい。本作はラナ・ゴゴベリゼ監督という個人のことをある程度は知らないと分かりづらい映画だと再三書いたが、でもこのテーマは今正に描かれるべきものだと思うんですよね。かつてソ連の周辺国であったジョージアで生まれ育ったラナ・ゴゴベリゼは最終的に金の糸で壊れた破片を繋ごうという結論に至った。では今から50年後とか60年後に現在のウクライナでロシアと戦った人たちは金の糸を針の穴に通すことができるだろうか。それは分からないという外ない。だがラナ・ゴゴベリゼは手に持った針に金の糸を通した。それこそが本作の最大の価値であると思う。
カラバッジョの陰影や花瓶に生けられた色とりどりの花や母が残したドレスに粘土の人形がこれ以上ないほど雄弁に人生に於ける大切なものを語るのである。それはサボテンの花であり『ペチョラ川のワルツ』で描かれた踊りそのものでもあるのだと思う。人生の最晩年でそういうものを撮れるってのは凄いと思うよ。実に素晴らしい映画でした。まぁ、同監督作を何本か観てないとあまりピンとこないだろうなということは繰り返し書いておくが。
超良かったですね。観てよかった。
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