ミシンそば

ふたりの女、ひとつの宿命のミシンそばのレビュー・感想・評価

ふたりの女、ひとつの宿命(1980年製作の映画)
3.5
原題が「アダプション/ある母と娘の記録」とほぼ同じ、80年代のメーサーロシュ作品。
第二次大戦時には枢軸に近いハンガリーにとって、激動としか評することのできない36年から44年を、ふたりの女とひとりの男を主軸に描いた三角関係のドラマである。
(作中時間軸は9割がた36年だけどね)。

主演はイザベル・ユペールだが、声に関してはハンガリーの女優の、クトヴォルジ・エルジェーベトが演じている、いわばマカロニウエスタン方式。
この手の映画ではクズ男役をやりがちだが、ヤンチョー・ミクローシュと離婚後のメーサーロシュの夫であるヤン・ノヴィツキは脚本にも携わっている。
(ノヴィツキ演じる洪軍将校が、映像撮影が趣味でベルリンオリンピックの撮影とかしてる場面なんかもあり、時代背景が本当に分かりやすい)。

こういう話を、自分は勝手に公認不倫モノって呼んでいる。
モノリ演じるスィルヴィアは不妊体質だけど子供は欲しい。だから友人イレーンに夫と不倫して妊娠してもらい、産んだ子は貰う。
三角関係とかで濁さない、超乱暴なあらすじはこんな感じだ。
去年観たアン・リーの「ウェディング・バンケット」みたいにも思えるが、あっちほどコメディチック要素は当然だがなく、自らの意思でとった選択によって歪みが拡大し、三人全員が不幸になる(時代背景を加味してもなかなかに救いがない)。
切っ掛けを作ったのはモノリ演じるスィルヴィア(不妊に悩んだ末、事実上父親の遺産目当て)で、ノヴィツキ演じるアコーシュは最初は反対していたけどイレーンに惹かれてゆき、イレーンも同様に最初はその提案のあり得なさから拒絶するもアコーシュに惹かれる…。

本当に最初は、若干そっちのケも感じるくらい距離が近くて仲もいいイレーンとスィルヴィアの友情もみるみるうちに破壊されるし、出産によってイレーンは「我が子を喪い」、スィルヴィアも「得はするが何か大事なものを喪う」。
終盤の44年も含め、本当に後味が悪い、だが紛れもなく、彼女らが自分たちの意思で始めた物語である。

友情が固く保持され続ける「ファースト・カウ」と、愛が固く保持され続ける「SEED FREEDOM」を観た次に、こんなどっちも粉々に粉砕される映画を観るとはねぇ。