667djp

百花の667djpのネタバレレビュー・内容・結末

百花(2022年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

宇野維正が絶賛していたので観に行った。彼の評を信用している訳では全くなく、特に邦画に関してはどっちもあるのでさてこれは是か非かと。

結論から言うと非。
基本的にカットのワークで引っ張っていて、撮影監督今村圭佑の引き出しの多さは日本映画でも群を抜いていると思う。
ただとにかく芝居がめちゃくちゃつまらない。あれだけ上手い役者たちなのに、とにかく画の動きが先行して映っているものにフィジカルが伴わず、カットそのものから身体性が失われて行く。ずっと互いが互いの足を引っ張り合いながらギリギリ沈まないところで踏ん張るような感じというか…

物語も半分の花火の謎が「なるほどこういうことか!」とは全くならないというのが致命的だった。二人が暮らしたあの場所が周囲を建物に囲まれている、ということが全くわからないので伏線にならない。答え合わせと同時にインサートのフラッシュバックで入れられても。
なんなら男と暮らした大阪のアパートのほうが窓の外を意識させていて、環状線が目の前に走っていることも見せているから、そっちかなーと無意味なミスリードをしたくらい。
また答えに気付いた息子のセリフが恐ろしく陳腐で、ここまでセリフはストイックに作ってきたのになんで?という説明語りが残念極まりなかった。

KOEが全くメタファーとして活きていないことも気になった。ある種忘却を肯定するはずの物語なのに、何故そうではないKOEのなんでもない曲がエンディングなのだろう。音楽映画であるように見せてそこに
大した意味が持たされないことにも疑問だった。

結局のところ川村元気のある種スタティックな映画に対する自意識の結晶、でしかない。
 
で、百花ってどういう意味?
667djp

667djp