かなり悪いオヤジ

百花のかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

百花(2022年製作の映画)
3.8
「時々あなたは子供のように見えます」恋人にあてたラブレターの余韻にひたりながら、シューマンが子供時代を思い出しながら作曲したという『トロイメライ』が、劇伴として実に効果的に使われている。子供時代の思い出がなぜあんなにも美しく楽しげに、大人になってから人の心によみがえるのか。“忘却”が一つのキーになっているはず、監督の川村元気はおそらくそう考えたはずだ。

シングルマザーの百合子(原田美枝子)に育てられた泉(菅田将暉)は、小学生時代に1年間だけ母親に捨てられた苦い記憶があった。会社の同僚(長澤まさみ)と結婚しもうすぐ子供が生まれるという時に、一人暮らしをしていた百合子が認知症を発症。施設に預けられた百合子から「半分の花火が見たい」と願望を打ち明けられる泉だったが....

たとえば、『或る終焉』を撮ったミシェル・フランコや『ファーザー』を撮ったフローリアン・ゼレールのように、“介護”に焦点をあてれば“認知症”もっとリアルに(悪意たっぷりに)描くことができたかもしれない。しかしこの映画は“忘却”を一つの美徳としてとらえている。男に走って子供を一時的に捨てた百合子の過去がやがて思い出となり、認知症の進行と共にやがて忘れ去られていく....それを美しく描いた作品なのである。

子供時代の思い出が美化されがちな理由も、時の経過とともに汚点が濾過され綺麗なものだけが記憶として残るからである。確か故ミラン・クンデラも小説の中で同じようなことをいっていた記憶がある。百合子が男と逃げ込んだ神戸のアパートに入った空巣はまさにそんな“思い出泥棒”なのだが、百合子は「何も盗られていない」と警察に証言する。大切な一人息子のことを忘れてようとしていたにも関わらず。

人気タレントのいいとこ取りで生成されたAIアイドルはけっして“忘れる”ことがない、ゆえに人間らしさが感じられず多分バズりもしない。完全な円を描くことのない“半分の花火”だからこそ、心に傷を負ったことのある人の目にはことさら美しく見えるにちがいない。それは人間が完全な生き物ではないことの証拠ともいえるのだろう。