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DAU. New Man(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

DAU. New Man(原題)(2020年製作の映画)
1.5
[俺は嫌いなんだ、あの堕落した研究者どもが] 30点

DAUユニバースの中には緩く繋がっている作品たちもあり、『Degeneration』の裏側を描く本作品は"研究所三部作"の二作目に相当する(私が勝手に呼んでるだけだが)。ユーバーメンシュ実験のためにやってきたムキムキ被験者のうち、もっとも過激だったマキシムと食堂の店主となったヴィクトリアの関係を掘り下げる形で研究所崩壊の序章を描いている。当初は『DAU. Vika and Maksim』という題名が当てられていたらしく、そこからも本作品の方向性は見えてくる。

1968年、研究所が崩壊する年。マクシムは他の被験者とともに研究所にやって来る。理想も破れて疲れ果てた研究者たちは夜の間の方が元気であり、見るからに暴力的な被験者たちは彼らのグループ内でのみ結束が高まり、それらを俯瞰で監視しようとするKGB職員たちが裏で暗躍する。勿論『Degeneration』と同じ構造だが、研究所自体を主人公として客観的事実を描いていた同作に比べると、物語の途中でやって来た"破壊と混乱をもたらす者たち"の視点で堕落した研究者を眺めるのは、一人の人物を多角的に観察するというDAUユニバースのテーマには合致している。『Degeneration』で偉大に見えた研究者たちも、本作品ではただの飲んだくれであり、夜な夜な騒いで被験者たちを眠れなくしているだけの存在である。アルコール依存症、性的堕落、意志薄弱、理想や未来への希望の喪失、それら全てを包括する"自由"、ゴリゴリの共産主義者であるマクシムはこれら全ての嫌いな要素を持つ研究者たちに苛立ちを募らせていく。

ただ、『Degeneration』と合流させるという意味でアジッポとマクシムたちの対話やヴィクトリアとのセックスなど同作で使われていたシーンを全く同じ文脈で使うのは、別々の映画としてどうなのか。『Degeneration』を8時間にしていたら本作品は作られなかったであろう。或いは、『Degeneration』を研究者目線、KGB目線、マッチョ被験者目線で三つに割れば面白かったのかもしれない。同作には長さにも意味があるのでそんなことしても意味ないのだが。

加えて、『Degeneration』に入らなかったであろうKGB職員の話し合いシーンなどの断片をこっちに入れるのもあまりセンスがない。被験者たちとKGB職員たちの接触があまりない分、マクシム視点でもないKGB職員内の出来事まで描くのは、一本の映画として成立させようと躍起になっている感じは伝わるが、本筋からは乖離している。
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