耶馬英彦

屋根裏のラジャーの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

屋根裏のラジャー(2023年製作の映画)
3.5
 原作小説のタイトルは「The Imaginary」である。中学生の英語で習ったように、the+形容詞ということで直訳すると「◯◯な人々」で、imaginaryは想像上のという意味だから、「想像上の人々」というのが原作小説の直訳だ。本作品では「想像上の存在」だろう。
 Rogerは人名のロジャーだが、米兵が通信で了解のときにも使う。そちらの発音はラジャーである。アマンダは元気よく返事をしてくれる友だちを想像して、ラジャーという名前をつけたに違いない。想像というよりも、妄想に近い。
 妄想するのは子どもだけとは限らない。大人でもよく妄想する。大抵の場合は被害妄想で、受けてもいない被害で怒ったり、悩んだりする。しかし前向きな妄想もある。空を飛ぶ、地球の裏側にいる人と通信する、月に行くなど、多分最初は妄想から始まったはずだ。それを否定しない豊かな心の持ち主が、科学者となって妄想を現実に変えたのだ。

 子どもの妄想は、普通はその子どもの心の中だけで完結する。他人には話さない。縦だけの関係だ。しかし本作品は、妄想同士が触れ合い、コミュニケーションを取り合えば、面白いファンタジーになるだろうという妄想で作られている。横の関係である。妄想たちはコミュニティを作ることもあるかもしれない。猫の会議みたいなものだ。野良猫と飼い猫が一堂に会して、情報交換をする場である。猫たちは、飼い主の噂をしたり、じゃれ合ったり、悩みを話したりするのかもしれない。妄想たちも同じようにしていると考えれば、世界が広がっていく。

 妄想は現実には勝てないと、Mr.バンティングは言う。そうだろうか。現実を辛く感じている子どもは、妄想にこそ、生きる意味を見出していることもあるだろう。妄想が現実を支えているのだ。人間の無意識の世界は広大である。精神世界の大半は無意識で、意識は広大な海に浮かぶ小さな島のようなものだという脳科学者もいる。夢を見る脳の働きを担っているのは、殆どが無意識の領域だ。
 悪魔の物語をするときに、悪魔がどういう理由で存在しているのかを説明することはない。Mr.バンディングは悪魔のようなものだろう。想像するから、存在するのだ。説明不要の絶対悪の存在である。ファンタジーには必要な要素のひとつだ。

 そんなことを前提にして、本作品の物語は様々な方向に展開していく。空も飛べるし海にも潜れる。自由自在なのが妄想だが、必ずしも自分にだけ都合がいいとは限らない。そこが潜在意識の面白いところで、都合が悪くなる状況も同時に想像する。ファンタジーはどこまでも広がっていくのだ。
 どういうふうに収拾をつけるのか、作者次第であるが、どんな結末でも、子どもたちは受け入れるだろう。子どもたちの想像力は意外と複雑で、必ずしもハッピーエンドを求めている訳ではない。不幸な結末でも、それなりに受け入れるのだ。

 寺田心くんはやっぱり上手い。安藤サクラ、山田孝之、杉咲花といった大人たちが脇を固める中で、微妙な立場にあるラジャーの心を繊細に表現していた。演出も音楽もアニメーションもとてもよくて、大人も楽しめる上質なファンタジーに仕上がっていると思う。
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