Kuuta

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのKuutaのレビュー・感想・評価

4.0
アカデミー賞のお墨付きのせいか「ポリコレ」「家族主義の押し付け」と左右双方から叩かれ、既視感ある設定や忙しない映像は映画ファンからも叩かれている。実際隙の多い映画だ。

万人にウケる映画ではないし、アカデミー賞も随分適当だなと改めて思う。グリーンデスティニーを素直に評価しとけば済む話だろう。

All at onceに平行世界を描くことを徹底しており、バラバラの事象を「繋がったように見せる」編集は、マルチバースの正しい映像化だと思う。しかし、娯楽作品として見れば、繰り返しが多く、アクションを一繋ぎに見せる快楽に欠ける。

アライグマのクライマックスは「保健所送り、コックを励ます、追う、諦める、もう一度追う」と、5回に分けている。スローモーションも多い。さっきも見たけど状況進んでねえな…という停滞感を度々感じた。

▽メンタルヘルス
映画史上最も有名な多重人格者に殺された母と、多重人格者役を演じた父親を持つジェイミーリーカーティスの起用。マルチバースをメンタルヘルスの問題に重ねている点が、興味が続いた最大の要因だ。

主人公は確定申告に失敗し、夫と揉めながら家に帰り、パーティーの準備を進めただけなのかもしれない。混乱からの逃避、精神的葛藤として妄想に逃げ込む。身近なテーマを扱っている感覚で見ていた。

第1章は、今まで抑圧されてきた多様性の爆発。父に従うばかりだった自分が、あらゆる可能性を身体化し、娘に共感し始め、全て=娘の可能性に気づく。

初めてミシェルヨーが覚醒する場面と、盾を使ったアクションが普通に良かった。「最高にバカ」の閾値が下ネタなのかと思うし、好みは分かれるだろうが、宇宙に漂うあらゆるバカの可能性が「ケツにトロフィーを突っ込む」ことに当然のように収束する強引さ、そこから展開される息の合ったアクションには、この状況がバカすぎるな…と思って笑えた。

第2章はその先にある虚無。無限の可能性があるなら、自分が自分であるべき理由もない。自分は取り替え可能なデータの束に過ぎず、固有の人生はない。結果的に娘と同様、今の世界との繋がりを断とうとする。

マルチバースは内面の分裂であると同時に、他者しかいない世界のあり方を示している。娘は多様性を体現しつつ、「お前はお前」「お前の世界なんてどうでもいい」という自己責任論の犠牲者でもある。駆け落ちを止めなかった祖父には、マルチバースの負の側面が現れている。多様性が行き過ぎた先の暴力、インターネットが広げたバラバラの世界、「私の苦しみ」を武器に変えて罵り合う世界。

で、それをどう乗り越えるのか。ここが特に興味深かった。

▽制度を俯瞰する
今作はくだらないこと、しょうもない嘘の積み重ねの先に、現実を超えたハッピーエンドを描く。ラストシーンで「家族の和解」が砂上の楼閣に過ぎないことを示している。

恋人と祖父の和解した雰囲気に「それで良いのか」と娘が怒る場面はもっともだ。現実の壁は厚く、母は母でいるしかない。変われない自分は特異点ではないのかもしれない。しかし、今の家族制度への意識をズラすことが、平行世界(他者)の問題を解決するのかも?という小さな希望を映像化している。

「別の世界の可能性」を手にすることで、今感じている生きづらさから少しだけ解放される。父を糾弾することよりも、苦しむ父も含めた世界の因習を俯瞰する想像力が問われている。人間そんな簡単に変われないよ…と思うところ、マルチバースだから、本当に別の可能性が示せる。

主人公の「開眼」のきっかけが、夫である点も良いと思った。血の因習に苦しむ三世代に別の視点をもたらすのは、家族の外からやってきた夫。血のつながらない他者が、家族を変える。

虚無に消えようとする娘に対して、あなたが生きる意味は、あなたのいる世界がいいと私が思うことしかないと伝える。そんな勝手で短い意味しかないのかと驚きつつ、娘は今の世界に帰ってくる。

個人的な話だが、役割を抱えていっぱいいっぱいになりながら母親でいようとする姿、私の母とダブる部分が結構あり、後半の展開は色々と想起させられ…。苦手な人がいるのはわかるが、私にはブッ刺さった作品になりました。
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