どろぬま

すずめの戸締まりのどろぬまのネタバレレビュー・内容・結末

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

泣いた。めっちゃ泣いた。『君の名は』も『天気の子』も泣いたけど、『すずめの戸締まり』が一番泣いた。前作や前々作とは違い、深淵へ一歩踏み込んだ作品に思えた。


大枠のストーリーは、「親密になった異性を物語の途中で文字通り失ってしまい、その存在の大切さを知り、取り戻そうと四苦八苦する」というのもの。これは、『君の名は』や『天気の子』と同じ。ただし『すずめの戸締まり』は物語の最初から既に、主人公が恋愛とは別の「喪失」を抱えている点が違う。そして、そこがこの映画の広がりをみせている点だと思う。

前作や前々作と決定的に違うことは、冒頭のシーンからも明らかだ。

『すずめの戸締まり』の物語は、荒廃した土地で幼い少女が「お母さん」を探しているシーンから始まる。そして次のシーンで、それが主人公(すずめ)の夢だったことが分かる。高校生になった今もこの夢を見ていることは、恐らく何かがすずめの心の中で引っかかっているのだろう。

さらに、朝食を食べる場面で、ゴハンを作ってくれた人を「たまきさん」と 呼び、たまきさんに対して「デート行くの?」と話すことから、今はお母さんではない人と住んでいることが説明される。この一連の流れから、ハッキリとは言わないが「すずめは母親を亡くし喪失を抱えている」ということが読み取れる。

『君の名は』や『天気の子』の最初のシーンは新海誠作品ではお馴染みの野暮ったいナレーションで「二人の物語」であることが強調されていたのに対して、今作は個人の「喪失」についての物語であることが明示されているのだ。


その後、草太と出会い、地方を回りながら扉を閉めるロードムービとして展開していく。「喪失を抱えた少女のロードムービー」。こういう設定の場合、どこか話が暗くなってしまいがちだったり、どこか既視感のある成長物語になりがちだが、今作のすずめは「死ぬことが怖くない」という欠落を抱えているものの、一貫して性格は快活に描かれていて、うまく回避している気がする。

※「母親を亡くし喪失を抱えている」という設定で『竜とそばかすの姫』を思い出したが、あっちはいかにも闇を抱えた描写で主人公の鈴が描かれていて、比較すると『すずめの戸締まり』の秀逸さが際立つ。


結論からいうと、喪失を抱えたすずめが旅で成長していくその過程に僕はすごく感動した。重要な要素は「声」だ。この映画では、草太が何度も「声を聞け」という。そして、すずめは地方を回りながら失われた者の声を聴いていく。

「喪失」と「傾聴」。「聴くことで、喪失が癒される」という構造に、僕はグッときた。それは、生きることに対しての本質的なテーマな気がするからだ。

映画では、「死ぬのが怖くない」=生きることへの希求が少なかったすずめが、声を聴いて「生きたい」と願うように成長していく。その様子にどうしても涙が止まらない。

※ちなみに観ながら、同じく3.11で喪失を抱えた少女を描いた『風の電話』や9.11で父親を失った男の子の話である『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、喪失を抱えた2人が車で旅に出る『ドライブ・マイ・カー』を思い出したりなんかもした。どれも、「声」と「聴くこと」が重要な要素として出てくる映画だ。


『すずめの戸締まり』のラストカットは「おかえり」とすずめが言うことで終わる。「死ぬのが怖くない」とすずめは言っていたが、死んでしまっては、その挨拶はできない。地方を回りたくさんの「いってらっしゃい」という声を聴くことで、大切な人と「いってらっしゃい」「おかえり」という挨拶を交わす尊さに気づいたことをラストシーンで表現したのだろう。結論への持っていき方はちょっと強引な部分もあるけど、このラストを観て、ただのボーイミーツガールではない奥行きが本作にはあった気がした。
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