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Fantasmi a Roma(原題)
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『Fantasmi a Roma(原題)』に投稿された感想・評価

Cem
5.0
ローマの宮殿に棲み着く数人の幽霊さんを描く幻想的なイタリアン・コメディ♡♬*゚

この時代にこの撮影手法は面白い。人間に幽霊は見えないが、人間と幽霊が共存し自然と溶け込んでる。部屋のセットもローマの街並みもニーノ・ロータの音楽も美しくバッチリ。マストロヤンニは一人三役。紳士な女好きで男に悪戯しちゃうとこがお茶目で微笑ましい。最後に出てくるそばかすマストロヤンニが可愛くて笑った(笑)夜のローマ歩くサンドラ・ミーロがアンニュイで魅力的。
イタリア版DVDにて鑑賞。ただし、途中で再生ができなくてYouTubeの映像を見る。エクストラは利用可能。とまあ、鑑賞にドタバタしたけど、これは面白かった。どうして公開されていないのだろう。

そりゃローマ的なところがあって、ローカルなユーモアがわかりにくいかもしれない。けれども、話の内容は簡潔だし、コメディタッチの幽霊話だけど、実に現代的な寓話でもあるわけで、こいつは大いにおすすめしたい。ただし、日本では未公開で、日本語字幕はない。

お話はこんな感じ。ローマの歴史地区の古いお屋敷を我が家にしている貴族のロヴィアーノ公アンニーバレ侯爵(エドゥアルド・デ・フィリッポ)は、年はとっても元気いっぱいのひとりぐらし。朝はきちんと7時に目が覚めるのだけど、実はこの家の幽霊が起こしてくれているのだ。

そんな幽霊たちとの穏やかな暮らしで、アンニーバレ侯爵は、彼らの姿をみたことがない。幽霊たちは家族の一員なのだけど、侯爵が語るところによれば、皆非業の死を遂げていて、普段は見ることができないが、命の危険があるときや、死に瀕してる時には姿を表すのだという。そんな幽霊の存在を信じているのは侯爵だけ。けれども、もちろん僕らにはその姿がはっきり見える。

幽霊の姿を見事なカメラワークで捉えて見せたのは、名匠ジュゼッペ・ロトゥンノ。光の使い方が良い。カットの切り替えが良い。足のある幽霊なのだけれど、衣装と化粧と光の演出で、みごとに生きた人間たちと同じ画面の中で、その幽玄な様を示して見せる。


この館に住む幽霊たちを挙げておこう。まず子供の幽霊のポルディーノ。ハンニバルの兄なのだけど、まだ子供の頃の20世紀の初頭に、花火の爆発で死亡した。それから大男の修道士の幽霊バルトロメオ(ティーノ・ブアッツェッリ)。17世紀にこの家に住んでいた修道士だが、1653年にネズミの餌の毒入りのミートボールを食べて死亡。

それからぼくの大好きなサンドラ・ミーロが演じる美しいドンナ・フローラは、19世紀に生きた女性で、失恋のショックでテヴェレ川に身を投げてしまう。今でも夜な夜なテヴェレに身を投げて、くしゃみを繰り返す。するとマストロヤンニの扮する色男のレジナルドから揶揄われる。「おやおや、今晩も身を投げたのかい?」。

このレジナルド役のマルチェッロ・マストロヤンニがよい。哀愁があって、色気がある。けれども色気や女たらしの仕草や言葉が、その見事なメークと衣装と照明によって、この世にあってこの世に物ではないようにみえているのだからすごい。

レジナルドは、アンニーバレの曽祖父で、18世紀後半に生きた女たらしの放蕩男。イタリア語では「libertino」というけど、ようするにカサノバのような人物のこと。それにしても、マストロヤンニはエットレ・スコラ監督のもとでカサノヴァをやっているし、なによりも色男のラテンラバーとしては、フェリーニによって世界的に有名になっている。実際、この映画は1961年公開だから、あの『甘い生活』の翌年なんだよな。

あ、そうそう、レジナルドが幽霊になったのは、嫉妬にかられて追いかけてくる浮気相手の夫から逃れようとして、バルコニーから転落死したからだという。なるほど納得の設定だ。

ところでこのマストロヤンニだけど、映画のなかで3役をこなしているのも見逃せない。ひとつは幽霊、もうひとつはデ・フィリッポ演じる侯爵が亡くなってから登場する相続人フェデリーコ(この名前、ぜったいフェリーニへのオマージュというかパロディだよね)。そして3つめが、そのフェデリーコの腹違いの兄弟のジーノ。

いやはや、マルチェッロ、じつに楽しそうに演技をしてくれているから、こっちも楽しくなってきちゃう。

さて、そんな幽霊たちが棲家にしている古くからの屋敷は、アンイーバレが決して売ろうとはしなかったのだが、その彼が不良の事故で死んでしまったから大変だ。屋敷を相続したフェデリーコは、一等地を買い占めて一攫千金の開発をもくろむ悪徳不動産にさっさと売り払ってしまおうとする。

困ったのは幽霊たち。自分たちがずっと棲んできた屋敷がなくなってしまう。さあどうするか、そこで登場するのがヴィットリオ・ガズマン。扮するのは17世紀に火事で亡くなった画家の幽霊ジョヴァン・バッティスタ・ヴィラーリ。あだ名はカパッラ。幽霊なのだけれど、なんと見事なこの世の壁に見事なフレスコ画を描けてしまう。その絵が評価されて取り壊しを免れた古い屋敷があることを知っていた修道士が、カパッラ/ガズマンに頼んで、壁画を書いてもらい、なんとか屋敷を救おうというわけだ。

いいのよね、ガズマンの破天荒な演技が。ヴィーナスが描きたいからと、サンドラ・ミーロに脱げと言えば、いやよいやよと言いながら、服を脱ぎ出すミーロのかわいさ。その肢体に、いい体してたんだなと驚くマルチェッロ。最高だ。

そんな最高のお話に音楽を書いたのが、われらがニーノ・ロータ。フェデリコ(マストロヤンニ)がガズマンを迎えにゆくとき、流れる音楽はなんと、同じフェデリコの『道』のテーマ曲ではないか。

そんな冗談も交えながらも、17, 18, 19世紀の幽霊たちにぴったりのテーマをさらりと書き上げて、みごとに映画を下支え。さすがマエストロ。かつては神童と言われ、大きくなっても天才ぶりは変わらず、しかも高ぶるところなく、謙虚に音楽を映像に寄り添わせている。見事。さすがが我らがニーノ・ロータ!


p.s.
そうそう、オズぺテクの『異人たちの棲む館(Magnifica presenza)』(2012)は、明らかにこの映画なんかへのオマージュなんだよね。