このレビューはネタバレを含みます
悔しいほど監督の誘導にまんまと乗せられたような感覚。大量の情報が画面に散りばめられ、一度では把握しきれない。あとから見返したいが、それにはカロリーが必要そうな重厚な映画。
尊大で、打算的、しかし知性も実力のある人間という、アートの大物にいそうな、嫌悪感を抱く人間象。さらにLGBTQであることをうまく利用していることで、キャンセルされそうなキャラクターを現代でも成立する、"有害な男性性"をもつ主人公として成立させている。そして、そのような印象だったが、徐々にわかっていくターという人間の複雑さ。もちろん最初の印象は間違っていないけど、音楽には真摯で努力を惜しまない。周りの人間も被害者であるだけでなく、彼女と共謀している。彼女もまた、女性であるということも忘れてはいけない。
リハーサルですべてが決まっている、というターの発言の通り、かなり緻密に画面が構成され、様々なヒントが隠されている。脚本が見事なのだろう。
ただ、ケイト・ブランシェットの圧倒的な存在感は、綿密に計算されたものなのか、はたまた偶然の輝きを捉えたものなのかはわからない。後半の狂ったところと、涙を流すシーンの表情の繊細さは、とても再現性のあるものには思えないけれど。
画面の情報を捉え損なうと、一つ一つのシーンがわからなくなるので、絶えず緊張を強いる映画。本来、あまり謎解きには興味がなく、トリックがあってもなるほど〜としか思わないのだけれど、強制的に謎に向き合わさせる。考察しがいがあるし、SNSとの相性もよさそうなのは、意図的ではないか。
SNS時代のキャンセルカルチャーをテーマにした映画であるが、警鐘として問題意識を共有しようとさせる作品ではない。むしろ、時間をかける映画やクラシック音楽というものの価値を再度認識させようという映画に思えた。緻密で油断すると見逃してしまうが、丁寧に見ると複雑な心理を親切に説明している。3時間近くある長さはわかりやすさのために単純化することを拒否していることの反映だ。複数の側面を真摯に描き、割り切れないものを描く姿勢こそが、映画や音楽の価値だと思わせてくれる。
おそらく、マーラーなどクラシックに造詣があればもう少しわかることもあるだろう。知らなくても楽しめる、でも知っていたらもっと楽しめる。そんな良作であった。