人間関係をあまり整理できてなくて、誰がなんなのかよくわからんまま進んでしまった。そんなんだったから、はてなマークが頭に浮かんだ状態での感想。
芸術と世俗が入り乱れる中で、芸術の高みにいた人が個人として墜落(堕落とは思わない)していく様が描かれ、それが同時に芸術そのものが世俗の垢にまみれて沈んでいっている現状を見せつけられているように感じた。
思い出した言葉はキャンセルカルチャーで、もう一つ思い出したのが「ベルイマン島にて」。
他の追随を許さない音楽家であるターだが、かつての教え子(?)がターからの仕打ちを苦に自殺。あるいは生徒への人種や性別を交えた侮辱的な発言。
嘘か真か、彼女のお気に入りが抜擢されることへの楽団からの不平。
そんな小さなことが1つずつ重りとなって、彼女を高みから引きずりおろしていく。
女性にとって侮辱的であった、としてベートーベンを避ける生徒。
今の時代の視点、倫理観で別の時代の人を裁き、その作品をも否定する態度。
人として優れていなければその作品も評価されないのか?
本作は音楽が題材だけど、あらゆる分野の作品に対しても言えることと思う。
芸術性は人間が創り出したものであり、人間である以上何かしら良くないって部分はある。
負の力も内包されながら創造されたのが芸術でもある。
しかしキャンセルカルチャーには、清濁併せ呑む余裕が失われている。
ターにとって重りとなり墜落させていく方法の1つが誰がやってるのかわからないSNS。表層を切り取って編集したSNSに踊らされる人々。
芸術を真に理解できる人なんてそもそもそんなにいないんだろうけど、表層をなぞって知ってる気になることは可能かもしれない。
(映画についてこうして書いてる自分がまさにそれなんだが)
決してモンハンを否定するものじゃないのだが、BGMとして盛り上げるための音楽の発表会に、芸術の最高峰にいた人が行く。その落差。
しかし裏を返せば、芸術も最初から芸術だった訳ではなくてモーツァルトのように大衆のものだったりもした。自らの原点に戻ったターにとっては最適な場所だったのかもしれない。
長々と書いたが、上で触れない部分の情報量が非常に多い作品であった。理解の及ばない部分が沢山ありすぎて、その分回を重ねると色んな発見がありそう