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TAR/ターのKAMUのレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
3.3
一度見ただけではどう受け止めればいいのか悩ましい。ほとんど詳細を知らなかったため、ぼんやり「男社会で苦労している女性」という作品像を思い浮かべていた。
が、予想は外れた。
リディアはクラシック音楽という、今も旧態依然な男性優位が残る世界で女性性でのしあがり、かつ同性愛者である。それなのにジェンダー問題にはほとんど関心がない。これまでいくつも描かれてきた「権力を持った男性の没落劇」の主人公の性別を女性に置き換えただけのような印象すらある。
様々な解釈ができるが、私はリディアにとってそれらは大した問題でなかったのではないかと感じた。彼女にはパワハラやセクハラの疑惑があり、作中でほとんど善人らしき行動がない。少なくとも、表面的には。
彼女は音楽の下僕であった。それだけは間違いようのない事実だった。才能ゆえ地位や名声を手に入れ、それ以外を欠いてしまった危うさをはらみつつ、彼女は彼女として、当たり前にそこにいる。子どもと接するときには(あえてこの言葉を使うが)母性を感じたし、実家の部屋は可愛らしいカントリー調だ。
こういった点から、リディアがラベルに無関心である印象を受ける。女であること、同性愛者であることは彼女にとって問題ではなく、ずっとリディア・ターとして生きている。

勿論、これまでに女性であることの壁にぶつかったのかもしれない。酸いも甘いも噛み分けて現在のリディアとなった可能性もある。
しかし、本作は徹底して「答え」を排除している。彼女の軌跡は冒頭の輝かしい経歴と、ほんのわずかな過去の断片でしか提示されない。
例えば悪質なメールという証拠こそあれ、ハラスメントの直接描写はない。事実や程度が明かされず、しかし登場人物も観客も「それがあった」としてリディアに責任を取るよう求める。
作中の台詞ではないが「疑惑が浮かんだら終わり」なのだ。
セバスチャンの解任にしろ、総合的にみれば早計だったかもしれないが、音楽的な結論として必ずしも間違っていたのか。
オルガへの贔屓だって、彼女の音楽の才能すら偽物だったのだろうか。少なくとも、彼女はソリストのオーディションに満場一致で合格している。
協奏曲でソリストと指揮者が打ち合わせを密にすることもおかしなことではない。
限りなく黒に近いのかもしれないが、あくまでグレーの範疇を脱しない。

わからない、この情報だけで本来は判断すべきでない。そういった事象にも関わらず、外野は勝手な正誤を決めつけ断罪を始める。
解釈の分かれるラストであるが、きっと希望であり絶望でもあるのだろう。
初見では判断できないことばかりだった。もう一度見たらこの感想も訂正箇所だらけになりそうだ。慎重に、よくよく精査して、自分なりの答えを探っていくしかない。
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