ちゃい

ケイコ 目を澄ませてのちゃいのレビュー・感想・評価

ケイコ 目を澄ませて(2022年製作の映画)
4.5
映画館で観ることができて本当に良かった。みんながみんな違う形で優しくて涙が出た。
- 先日「バリバラ」にて、健常者が障害者を演じてそれを賞賛する声があることで、障害者が演者として活躍できる場がさらに狭まる、との意見があった。その話を思い出したので、手放しに賞賛することに迷いはあるが、それでも岸井さんの耳が聴こえないという事に対する想像力には圧倒された。
- コロナ渦が聾者にとって新たな障壁であったことに今更気が付く
- 手話をして、数秒後に字幕が出る演出や、聾者同士での手話を使ったコミュニケーションに字幕をつけていない演出などから、聴者と聾者それぞれにその壁を体験させ、想像させる場が設けられているのではないかと思った。
- 音、景色の録り方。16ミリ。ドラマチックな展開に繋がる場面だけを切っては貼って、するのではなく。長回しでただその流れゆく景色を映したり、手元を映したり。ミッド打ちの音。「あの音もケイコの世界にはないんだね」一緒に鑑賞した友人に言われて気がついた。
- 拳に気持ちを込めることのできるケイコが少し眩しかった。身体を通して何かを感じたり、表現することに憧れがある。
途中、試合で勝ったにも関わらず「痛いのはきらい」というケイコや、ボクシングをやめようかと悩むケイコに、昔水泳をしていた自分を重ねた。ただ水をくぐり、水に浮かび、水を聴くのが好きだったのに、気がつくと秒数だけに意味のある世界にいた。最初はそこに快楽もあったが、だんだんとズレていった。
ケイコは、ボクシングに何を見ていたんだろう。

以下メモ、引用
- 描写は素っ気なくても、画面はやせていない。岸井の肉体、感情を表出する寸前で止まる表情。繊細な演技と演出で、揺れる思いがにじみ出る。ーー 三宅監督はわずかな変化を丹念にすくい取る。(毎日新聞 勝さん)
見ている私たちとスクリーンの中の人々には常に一定の距離があり、ーーそれはケイコ自身が周囲の人との間に感じている距離にも思えてくる。でも、少ない会話から、視線から、身体から、相手へのちょっとした思いやりや、思いやりのなさや、不快感、興奮、そんな細かい感情の動きが見えてくるし、見ようとする。(毎日新聞 久さん)
- ケイコにとってボクシングは「かけがえがなく、たとえ向こうから近づいてくることはなくても追い求め続けるもの。私にとっての映画です」(東都新聞 岸井ゆきのさん)
- ごく普通の人間ドラマとして、単純、正確、潔く描いている(日本経済新聞 中条さん)
- もしかして彼女がその拳で闘うのは、刻々と変わり続けるしかない時代に杭を打ち込むようなことなのか。(週刊文春CINEMA)
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