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イカした人生/Madly in Lifeのニューランドのレビュー・感想・評価

イカした人生/Madly in Life(2020年製作の映画)
3.6
✔『イカした人生』(3.6p)及び『わたしはダフネ』(3.7p)『サンレモ』(3.7p)『走れ、ウイェ!走れ!』(3.4p)『老人』(3.4p)▶️▶️ 

 EU映画特集本年度テーマ「つながり支え合う~」の4つ目のグループは「老いや障害と」。押し付けの強さは省き、素直に同化·その世界へ入門出来てく心優しさが光る、何れも逸品。
 『イカした~』(ベルギー)は作りがフォーマルな劇映画ではなく、臨場感や抽象性が特殊に強く締まってて、伝わりが半端ではない。原色の同色衣装(·背景も)の夫婦·その夫と母らが、子作り·不妊や夫の母の認知症への対処について、トゥショット正面+ジャンプカットでまんま喋り·指示を受ける図が何回も長々·しかし切実に、かなり機械的に挿入され、それに関する日常描写も、フォローや廻るめ移動·斜め立体図·寄りやそれ越し縦図や手元の物アップ挿入·スローらも入るが、長回しめ·ジャンプカット処理は変わらないし、美術も様式美·幾何学性にかなり徹してる。母の病状とそれに対する息子らの先行き予感が絶望的に染まると台詞は多大な音響の充満で消され、美術家で美術館差配の母の作品が瓦解し溶解するカットがはいる。医療指示への相談は、母の奇天烈·自分勝手のエスカレートする病状への困惑で、二人の子作りは一時停止が続き、夫婦関係にもヒビが。寝泊りに近い介護士手配や、神経弛緩剤投与と対策と、夫のヒステリー·妻の沈鬱は度を増してゆく。しかし、行き過ぎと対策を止め、子作りと母のあるがまま開放受入れを、併行すると、緊張と絶望は少しずつ溶けてゆく。
 本作は様式性とそれに伴う問題の整理が、観客にあまり重さを感じさせないが、退職してないのに年金二重取りに疑問なし、危ないと車を取り上げられると誰構わず人の車に勝手に乗る、既婚の息子に嫁探し、等ドンドン·ハイになる母、苛立って過剰反応·自分と妻まで変な所に追い込む息子、の描写に嘘や誇大さはなく、抵抗無く染み入ってきて、客観的に行場無しの具体かたちが掴めてくる。
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 『私はダフネ』(イタリア)。映画ならではのという腕力がなく、編中の歌曲の様に、「たちどまり、ささやかな向きへ」といった如く、取り分け亡母の出身村で·生家に向かう、残された高齢の父と蒙古症ーダウン症の娘の、日にちをかけての徒歩の旅の自然の光景に顕著なように、自然光も人工(色彩)照明も·地からの霧らのスモーキーさも·ほぼブルーめの闇に近いのも、柔らかく·力は感じさせず·存在を適度に艷やかに·本質の等身大を活かさんと調和が穏やかに続き、メランコリックも聡明な父や、職場のスーパーの従業員も、彼女が特異なのではなく、余計な神が与えたもの以外は持たず·見向きもせず、しっかりもので·理屈の基本から離れず·好奇心強く·自分と相手を卑下なく真っ当に評価し·亡き者でもその繋がりの空気を失わずにある存在と根から確信出来ての、介護·補助の意識なく、「同じ(匂いの)人間」·同等に存在として有り難い「奥の奥」からのフランクな相棒(拠り所)と直感しあってる世界の、反映した美·ナチュラル·穏やかな力の現れとして、続きうるのだろうと確信してくる。好ましい秀作で、イーストウッドによりリメイクはどうだろう。保守本流のイーストウッドが演じてると見紛う、父役の俳優のニュアンス·声だった。
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 『サンレモ』(スロヴェニア)。夜中の仕事で寝不足、ウトウトしてたのに拘らず印象·特に映画的心境と造型は圧巻を感じた。心の障害で隔離された様な山奥の老人ホームの1老人が主人公で、(亡き)妻や愛犬らのいる我が家に帰ろうと無意識·無心に脱出しての旅出を求め繰り返すのと、どこか互いにチグハグおかしいのだが、プライドと情愛の深さとまだ存続していると思ってる家庭第一意識と振る舞いの高貴さ·痛い所を突く酷さで、一級の心ならずもの刺し合いを見せてく、高齢が信じられないチャーミング気品の、シルヴァ·コシナに似た名の女優との、知と尊びの深い所での余裕の掛け合いの·半情事や道行きにも至りそうなのとの、複合構成。前半野外を中心とした神秘的自然や建築の対象をより高貴に幻影化してしまう、霧というには白が煙如くに異次元化してる光景と、主人公の動き沿い+αや、好奇と手探り感触で、考えられない長い動きと呼吸を続けるマニュアル·カメラワーク。室内や後半は画調は、ややクリアになるが、脱走して行き着いた林で次々倒れる高木の図とその鋭さの連鎖·拡張と、果ての氷山か氷柱の塊りかの巨大壁以上存在、の造型には、虚仮威しでない世界の内的な果てそのものを厳と受け取る。こんなのが求めてる映画だ、と勝手感激。配信でもいいから、寝不足なく再見したい。
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 『走れ、ウイェ!走れ!』(スウェーデン)。50歳前にパーキンソン病にかかったのが分かるも、暫く家族や友人にも黙ってて、病状と未来への苛立ちが、それまでのウィットに富み温厚な、家庭人·ラジオDJ·パーソナルバンド主催·ピアノ独奏好きの好人だったのが、意味不明言動·ボーッとして暗い時が·怒りのぶちまけ·仕事中断·これまでの実績に不満や焦り、等が現れ始めるが、周囲の怪訝も変わりない信頼で、堕ちきらず·先へも現状のままでの舵取りや手応えをカミングアウトと共に普通に手にしてる、モデル本人が周りの人もそのままに演じてる、エッセイというかライト·コメディで、揺れてフィットのティルト·パンからフォロー移動·静かに寄ってくなど適宜選択、ジャンプカットや直交しない切返し·どんでんの軽み、放送局内外白·自宅の滲む多色灯など場によって形とトーンの切替え、歌詞や音楽のや主人公語りのノリもよく、ラスト辺のサプライズバースデーからそこを抜け暗闇に拘りイメージが続く彷徨のカミングアウト前の最後の大きな華と揺らぎも無理なく入ってくる。
パーキンソン病は、病状不特定、進行停止不可能、近い死には直結しない、位に人生の重荷でもあるように捉えられ、W·アレンテイストの作ともいえ、ずっと続編が続いての現状報告が成されると面白い、とも思った。
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 『老人』(キプロス)。優れている、というより本当にこころに染み入る、素直で紛い物のない作。「本当に、危険や怖さから守り、子供の事を愛してるんだね」「親なら当然よ」「そうなんだ、子供たちに迷惑を書けたくないんだ。安心·安定の生活を送ってほしいんだ(。だから、一人暮らし自立·何でもして、老人ホームなどには~看護師の貴女やその友の社会福祉センターのひとに勧められても~)」/「私も夫を失って、引きこもり、何もできなかった。でも、だんだん外に出て、友だちも。そうして行き続ける事が夫の気持ちにも」/「寂しいよ。今でも君と一緒に暮らせてたら、全てが変わってしまった」
 時折の繊細な音楽と、フィックス·スタティック長回し(夜間の様々モノトーン、室内逆行くすみめ、昼間屋外ある程度鮮やか色彩)に、横移動·少し寄ったり僅かのフィットパンやティルトが時折で、どんでんや切返しのカットの結びつきが弱かったのが、フォローや視界移動や遠ざかる、斜めや仰俯瞰切返しの表情、それについてのヴィウィドな揺れ、らが入ってきて、主人公の独り暮らし·夜間病院の職員キッチンスペースに寝に行く、老人が、「通報」回避·逆に親身になる子持ち看護師、スーパーや老人集まりビンゴゲームで親しくなる同年齢ねの寡婦、らに心を開いてくる顔の笑みや崩れが自然に出てくる。看護師の指示の「頑固さ」に負けない、(亡き)妻想い·子供らに迷惑をかけない「頑固さ」は阿吽の同志感も生んでく。突然の死に反省の娘に「時が来ただけと」と慰める。絵のトーン·リズム·台詞の少が、「社会と家計の回復」を謳うニュースに反し、年金遣り繰りギリギリ帳簿、家事や買物の行動の素朴さと·病院夜間にコッソリ通い続ける短絡孤独避け道、の寂しさ·孤独·眠ってる人間味健在を伝え続ける。心の奥で息を飲む。
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