Jun潤

PLAN 75のJun潤のレビュー・感想・評価

PLAN 75(2022年製作の映画)
4.7
2022.06.22

磯村勇斗出演作品。
演者と名前だけではどんな作品になるのか想像もつきませんでしたが、予告編が解禁されるとなかなかに重厚なテーマを扱った社会派作品の様相。
さあさあ果たしてどんな出来に仕上がっているのか、第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門にて新人監督に与えられるカメラ・ドール賞を受賞した作品ということで、『ドライブ・マイ・カー』に続く新時代の邦画の一本になるのか、要注目の作品です。

高齢者を狙った殺傷事件が相次ぎ、かねてからの高齢化対策や世論の高まりを受け、75歳以上の高齢者に“死ぬ権利”を与える通称“PLAN75”が国会で可決、施行された。
そんな日本で生きる高齢者のミチ、高齢者に死を推奨するヒロム、高齢者の介護から死を迎えた人の遺品整理へと仕事を変えた外国人労働者のマリア、制度を申し込んだ高齢者のケアを担当するオペレーターの瑶子らを群像劇として描き、死へと向かう高齢者とそれに関わる人々を描いた作品。

こ、これはやべぇ〜。
2022年ベスト入り確定、人生の10本にまで食い込んでくる超ド級の傑作にして、奇作・怪作・問題作!!

今作で描かれていたものはやはりなんと言っても「制度を行使する人」と「死生観」ですね。

制度が人のために作られたものであるならば、利用するのも運営するのも作ったのも人であり、そこには感情が介入する余地があり、人が関われば必ず抜け道が存在する。
メリットだけを挙げるとするならば、今の日本には存在しない制度として今作の“PLAN75”が魅力的に見える人も少なくないのかもしれません。
しかし、ミチが死に向かうことで逆に生への執着が生まれたり、赤の他人には推奨できるけど自分の親戚が制度の対象となるとヒロムが感情的に動いてしまったり、子供のためとはいえ自分の意思や倫理に反する行動をマリアが全うできなくなったり、仕事としてドライに高齢者と会話をしていたはずが死んで欲しくないと願うただ一人の存在に瑶子がなったりと、人だからこそ持ち得る不完全さが浮き彫りになっていました。
演者の表情も相まって、制度もまた人ではなく、人でないものをもって人間を描く、これもまた王道作品の一つであると確信できます。

そして「死生観」。
これがまた実にいやらしい、いやらしすぎて好き、いえ、生か死かの間で揺れ動く人間の根源的な部分を曝け出す描写に涙腺が消滅するほどに儚げで愛らしい。
ONE PIECEかってくらい涙が出ました。

やはり最初に強烈なインパクトを残してきたのは序盤で制度を申し込む高齢者が放った「楽な方を選ぶわ。」の一言。
生きるのは苦しくて面倒くさい、医療や行政など面倒な手続きを踏んででもしぶとく生きる道か、それとも楽に死ぬ道か。

生き甲斐があるわけでもなく、死んで迷惑をかける人、生きて将来を見守りたい人もいない。
高齢者だからと働く機会を奪われ、住む場所を追われても高齢者だからと次の住処も見つけられない。
国に迷惑をかけたくないからと生活保護を受けないのであれば、未来の子供達のために死を選ぶことが国を想って取るべき行動なのか。

職場で親しくしていた人ともすぐに疎遠になり、明確な描写はないものの寝食を共にできる友人も制度の恩恵を受け死んだ。
制度を受けたからこそ出会えた新しい友達、自分に手を振ってくれる幼子、それでも止まらない死への旅路は、目の前で死んでいく他人を見て終わりを迎える。
生の旅路は苦しく辛いもの、75歳以降のその先にはもはや何があるのか、何もないのか、わからない。

そして親類が制度を受け死んでいくのを止められないヒロムも、施設へ向かう車中でシートベルトを促した。
そうした矛盾を孕んだ姿もまた人間臭く、人間だからこそ、人間として最期を飾りたいというある種社会的な欲望を満たそうとする姿も見れました。

もし現実に“PLAN75”が施行されたら僕は死を選ぶのか、いやそんなことはない130歳まで生きるぞと言い聞かせてきましたが、実際に今作を観るとそんな自分の確固たる価値観すらも揺るがしかねない、そんな危険性もあるけれど、できるだけ多くの人に何度でも観てほしい、そんな狂気じみた依存性すら持つ作品。
Jun潤

Jun潤