光好尊

ドント・ウォーリー・ダーリンの光好尊のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

「男性社会」に「女性たちは閉じ込められている」という台詞から、ホモソーシャルな視点から観る向きが多いが、それは本作の筋書きの一つに過ぎないと思う。重要なのは、筋書き(シニフィアン)を使って何を表現するか(シニフィエ)だ。

ここで表現されていると思われるのは、おそらく「他人に創られた世界の出鱈目さ」と「自分が選択した世界の凡庸さ」(終わりなき日常)と言える。

理想的な街、ヴィクトリーでは、「街の外に出てはならない」という掟さえ守っていれば、何不自由ない生活を送ることができ、度々行われるパーティで「非日常」を味わえる。しかし、後にアリスが気がつくように、その世界は「出鱈目」だった。確かに、何不自由ない生活はアリスにとっても平穏だったが、それが「自分が選択した世界」ではなく「他人に創られた世界」であることに気がつくのである。

人がある事柄に「気がつく」とき、そのきっかけは、どのように「意味づけ」したかによって決まる。アリスは、この文句のつけ所がないような生活にも、「こんなはずじゃなかった感」を抱いていた。マーガレットの自殺が「きっかけ」になるかどうかは、アリスの「意味づけ」に左右される。

そして、アリスはどんなに快適であろうと、「他人に創られた世界の出鱈目さ」よりも、30時間連続で働き詰めになるような「自分が選択した世界の凡庸さ」に戻ることを決意する(バニーはその逆だった)。

その選択は、ジャックに「騙された」からだけでは絶対にない。「こんなはずじゃなかった感」によってアリスは、VRの中の世界を「出鱈目」だと「意味づけ」たのである。
光好尊

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