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胸騒ぎのmorimotoseiichiのネタバレレビュー・内容・結末

胸騒ぎ(2022年製作の映画)
2.3

このレビューはネタバレを含みます

 2024年6月3日(月)にテアトル梅田で鑑賞。22時55分の回。シネマ4。10人前後。

 まあまあ胸くその悪い映画。あと味も悪い。オランダ人夫婦の妻カリンとその息子とされるアーベルからは創世記のカインとアベルを想起するし、「なぜこんなことをするのか」とオランダ人夫婦に尋ねるビァアンに対して、パトリックが「君が(娘のアウネスを)差し出したからだよ」といったようなことを答える場面も、聖書の生贄を思い起こす。

 聖書の内容がオマージュないしモチーフになっていることは確かなのだろうけど、なにぶん不勉強なため何がどこまでそうなのかがはっきりとはわからない。

 ちなみに、エンドロールの背景はオランダの画家レンブラントによる「ガニュメデスの略奪」で(というのはほかの人のレビューを見て知ったのだけど)、これまで繰り返されてきた子どもたちの略奪のモチーフはこちらにあるのだろう。

 アーベルの舌が先天的に欠損しているものではなくオランダ人夫婦とされる者たちによって切り取られたものなのだろうというのは比較的初期の段階で想像できるし、後半でルイーセと庭の手入れをしているカリンがハサミについてなかなか切れないと言及する場面は、そのハサミでアウネスの舌を切るのだろうなというのが明示的に示される。

 これは映画の邦題の常だけど、”Speak no evil”(悪口を言わない)という原題に対して『胸騒ぎ』という邦題はミスリードもいいところ。こういうのはなんとかならんのかなあと私みたいな人間でも中学生の頃から30年以上思っていて実際なんともなっていないので、きっとなんともならんのだろう。ともかく映画の主題として、不快に思ったことや怒りをそのまま口に出すことができないビァアンとルイーセの姿があり、それがひとつの批判の対象になっており、他方でそれをあざ笑い踏み躙るパトリックとカリンが描かれることでより一層両者が際立って対比される。

 ビァアンの「なんでこんなことを」に対する応答「(お前らが)子どもを差し出したから」というのは、アウネスをアーベルと同じ部屋でしかも床に寝かせるということに同意したこと、あるいは抗議したり拒否したりしなかったこと、また終盤でアウネスが母親と一緒に寝たいと求めていたのを無視して性交を続け、結果的に裸のパトリックとともに娘が寝る状況を許したことなどが該当する場面なのだろうか。具体的にどういう場面、どういう行動が子どもを差し出す行為かというよりも、オランダ料理をごちそうしたいと言われて出かけるときにアウネスを見ず知らずのベビーシッターと称する男性に預けて置いて行ったこと、その際にパトリックとカリンに抗議したり拒否したりしなかったこと、あるいはオランダ料理の店で料理の説明をしてもらえなかったことに対してきちんと抗議をしなかったこと、あるいはごちそうすると言って招待されたにもかかわらず支払いをさせられたことなど、ビァアンとルイーセの生き方、ふるまいそのものがすでに子どもを差し出す行為を形成していると見ることができるかもしれないし、そうやって考えると、パトリックとカリンの家に着いて早々にイノシシの肉と称するものを強引に勧められてルイーセが断り切れずに受け入れたことなども気になってくる。また、娘を床に寝かせるということ、それに同意するということは、生贄を捧げる行為として見ることができるかもしれない。

 石打ちでビァアンとルイーセが殺害される場面も、ヨハネの福音書第8章、女が姦淫の罪で石打ちの刑に処されようとしている場面を想起してしまう。

 Amazon Prime Videoで無料視聴の対象になるかDVDがレンタルされるようになったら、とおしで観たいとは思わないけど、気になっているところを確認して疑問を解消したいなと。