このレビューはネタバレを含みます
チャーリーは偽りのない本心を書けることの尊さを知っていたんだろう。
本音と建前をうまく使い分けられることは、生きていく中でとても重要。
でも建前の中につい表れてしまう本音は厳しいものになる。
最後に訪れたトーマス、ピザ屋の兄ちゃん、オンラインの向こうの生徒たち……
チャーリーなりの贖罪とも言えるおぞましい姿を前に、本音を隠しきれなくなった人たちの反応は、これまで積み上げた関係性を一気にちゃぶ台返ししてしまうほどにズキっと刺さる感じがあった。
その点、エリーのエッセイや言動にある率直さ、嘘のなさをチャーリーは「純粋な心」のように捉えていたから、エリーを肯定し続けられた側面もあるんじゃないかな。
でもそんなエリーですら、本心と違ったところがあると感じた。
「本心では父親を求めている」ということです。
今のエリーはチャーリーが思うような良い子ではない。
「実は良い子」みたいな言い訳が効くレベルではなく邪悪な子であるのが現実だろう。(解釈の余地は大いにあるけどね)
遺伝子レベルで元々邪悪に生まれてくる子も一定数いるものだけど、エリー場合は明確に8歳の頃の傷が今の彼女を作ってる。
それは繰り返し、チャーリーにぶつけた「私たちを捨てた」という言葉だけで理解に難くない。
その後、彼女が荒んでしまったことで、誰からも承認され得ない存在になってしまったんですよね。
ラストシーンでは、過去に自分が書いたエッセイを朗読した。
その時にチャーリーの口から出た、
「君は僕の最高傑作だ」
と言ったあの瞬間。
これだけ無条件に承認し、白鯨が巨体を揺らすかのように歩み寄ってきた彼に少しだけ微笑んで見せた。
チャーリーはエリーを買い被りすぎだし、エリーがチャーリーを許して更生していくかといえば、そううまくいかない気がする。
それでも、一瞬だけだとしても、二人の心が結びついたのは確かだと思った。
海のシーンがインサートされたのは、白鯨が海に帰る比喩みたいなものかなとも考えたけど、もっとシンプルにこうなる前の状態がお互いの脳にフラッシュバックしたように思えてきた。
光はチャーリーだけではなく、エリーにも降り注いでいたんだと。
みんな他者をケアしたがるけど、そこには「自分のため」という要素が少なからずある。
頼りになるリズだって、やや共依存的で身体に悪い食べ物を与え続けてしまうのは、チャーリーのことを心配しつつも、自分も救われてるからだもんね。(本当は死にたいチャーリーの手助けをしてるとも取れるのだけど……)
この物語で見えた、ケアの連鎖が自分のためでもあるのだとすれば、やはり自分自身を救えるのは他人じゃないんだよなと思えてきます。
エブエブでキー・ホイ・クァンが復活を遂げたことに負けず劣らず、ブレンダン・フレイザーの大復活劇は、役柄やここまでの彼の経緯が折り重なって涙モノだった。。
あと、MCU好きとしては、アイアンマン3のポテトガンの子がこんなに大きくなって、そこそこ大きな役柄で登場したことに目を細めましたw