2025年81本目
どんな人であれ、誰かを気にせずにはいられない
『ブラック・スワン』のダーレン・アロノフスキー監督が、『ハムナプトラ』シリーズのブレンダン・フレイザーを主演に迎え、体重272キロの孤独な中年男が娘との絆を取り戻そうとする“最期の5日間”を描いた人間ドラマ
ボーイフレンドのアランを亡くして打ちひしがれ、現実逃避するように過食を繰り返してきたチャーリーは、アランの妹で看護師のリズに助けてもらいながら、オンライン授業の講師として生計を立てていた。心不全の症状が悪化しても病院へ行くことを拒否し続けていた彼は、ある日、自らの余命がいくばくもないことを悟る。最後にやり直す機会として、疎遠になっていた10代の娘との再会を試みるが…。
『ハムナプトラ』シリーズなどでハリウッドのトップスターに昇りつめながらも、心身のバランスを崩して表舞台から遠ざかっていたブレンダン・フレイザーが見事カムバック。本作の主役のキャスティングには10年以上の月日を要したが、アロノフスキー監督が『復讐街』の予告編を見たことが決め手となった。劇作家・サミュエル・D・ハンターが2012年に発表した同名舞台劇を映画化したもので、ハンター自身が脚本を手がけている。第95回アカデミー賞で、主演男優賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の2部門を受賞。共演は、トム・ホランド主演『スパイダーマン4』にキャスティングされたと噂のセイディー・シンクのほか、『ザ・メニュー』のホン・チャウ、『ジュラシック・ワールド』のタイ・シンプキンス、『ファンスタティック・ビーストと魔法使いの旅』のサマンサ・モートンなど。
本作の特徴は、物語の舞台がほぼチャーリーの部屋に限定されていること。観客はその閉鎖的な空間に囚われながら、チャーリーの孤独と絶望を共有することになる。また、舞台劇と同様に登場人物たちの対話が重要な要素となっており、それぞれが抱える喪失や葛藤が徐々に浮き彫りになっていく。
本作の最大の見どころは、ブレンダン・フレイザーの名演技。彼は体重272キロのチャーリーというキャラクターを、ボディスーツと特殊メイクの力を借りながら見事に演じている。チャーリーは過去の罪悪感と喪失感を抱え、過食を繰り返して自己破壊的な生活を送っているが、娘・エリーとの関係を取り戻そうとする姿には深い人間的な温かみがある。彼が何度も繰り返す「Sorry(ごめん)」という言葉には、彼の内面にある後悔、自己嫌悪、そして赦しを求める切実な願いが込められているように思えた。
本作は、登場人物たちがそれぞれの喪失と向き合い、何らかの形で贖罪を試みる物語である。チャーリーは8年前に家族を捨てて同性の恋人・アランと暮らす道を選んだが、そのアランが自ら命を絶ったことをきっかけに暴飲暴食に走るようになった。彼の選択は結果的に自分自身を傷つけ、家族との関係も断絶させた。彼が娘・エリーと再会しようとするのは、自らの人生を少しでも意味あるものにしようとする最後の試みである。また、看護師のリズや宣教師のトーマスも、それぞれの方法で誰かを救おうとする。しかし、その行為が果たして純粋な善意なのか、それとも自らの罪悪感を拭うためなのかという問いが投げかけられる。リズは亡き義兄・アランの影をチャーリーに重ね、彼を救うことで過去を清算しようとしている。一方でトーマスは宗教的救済を説くが、彼自身も家族から疎外され、自分の居場所を求める存在である。
本作のタイトル『ザ・ホエール』は、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』と密接に関わっている。劇中ではエリーが『白鯨』について書いた作文が重要なモチーフとなっており、それがチャーリーの人生のメタファーとして機能している。チャーリー自身が巨大な肉体を持つことから、彼が「白鯨」そのものであるという解釈も可能だが、彼は同時にエイハブ船長のように何かを追い求める存在でもある。彼が求めるのは娘との再会であり、彼女に自らの愛を伝えることによって、人生の意味を見出そうとする。
アロノフスキー監督は本作を「共感のエクササイズ」と形容しているように、観客がチャーリーの視点に立って彼の苦しみを感じられるような演出を施している。特にカメラワークや照明の使い方が巧みであり、閉鎖的な空間の中でも画面に変化をもたらし、視覚的な退屈さを回避している。
本作の舞台は2016年に設定されており、これはドナルド・トランプが大統領に就任する直前の時代である。原作からの設定の変更は意図的なものであり、現代社会の分断や孤独といったテーマをより強調する狙いがあるのだろう。