宗教的な心情や洗脳と人としての基本的な欲望。メンタルとフィジカル。どちらか一方だけで生きていくのは難しい。
個人的にはイデオロギーや宗教、異性を含めた他者、趣味や嗜好などに強く依存してしまうこと、それを他者に強要することは大きなリスクだと考える。(なんらかの組織や団体に所属することで強く安心してしまうことも一緒)
それは現在の「推し」ブームでさえも同様。狂信や没我、熱中や熱狂。日常と非日常をほどよく行き来するバランス感覚は「健全な社会性」を保つ上で欠かせない気がする。
マインドコントロールされやすいひとは、どこか自分のマインド(主体性=自分の頭で考え抜くこと)を放棄しているようにさえ見えてしまう。思考や決断を委ねることで楽をする。安心してしまう。
(耐え難い現実、往々にして理不尽な病な困窮、事故などから目の前の現実から逃避したくなるのは理解できる。されど、である)
あなたが信じる世界や考えが、他者にとっても同じ価値があるとどうして信じられるのか?