「藪の中」そのもの。多くの場合、現実に生きていくことは幾多の誤解と思い込みの中でなんとか正気を保っていくことなのかもしれない。
本作もどこまでがフィクション(演出)でどこまでがノンフィクションなのか分からない。そういう二重構造になっている。
いずれにしても「完全なる相互理解」こそが幸せな事かと問うならば、むしろそちらのほうが恐ろしい結果になることは想像に難くないw
敢えていうならば愛のある、あるいは相手への敬意ある理解や寛容が大事で、反対に悪意や敵意や自己防衛に満ちた、または不安や恐怖に彩られた中では基本的な理解は難しい気がする。
ハラスメントの風潮も同じ条件のように思う。