幽斎

友情にSOSの幽斎のレビュー・感想・評価

友情にSOS(2022年製作の映画)
4.0
Amazonジャパンの間抜けな邦題で、ノー・ルックな作品だが原題「Emergency」。シンプルに緊急と言う意味だが、邦題は意味不明で担当者のヤッつけ仕事を私がフォローする嵌めに(笑)。学園コメディと思ったら、スリラーへ変質する隠れた佳作。AmazonPrimeVideoで0円鑑賞。

2018年サンダンス映画祭で短編部門「審査員特別賞」を長編化。当時はKristen Davila(美人)だが、受賞を機に改名したK.D. Dávilaの脚本が秀逸。本作も再びサンダンス受賞。Carey Williams監督はシェイクスピア「ロミオとジュリエット」を現代にアップデートした「R#J」で注目、短編に続いて長編もシニカルな脚本の勝利。「トワイライト~初恋」Temple Hillが製作したが、インディーズ扱いで劇場公開されず、ジェンダーに理解のあるAmazonスタジオが買い取り北米で配信。

「Differentiation」差別を扱う作品は、選べる場合は吹替えよりも字幕の方が分り易い。「差別の可視化」と言うのは、別に人種の入り組んだアメリカだけの話でも無い。日本は貧富の差が見え難い社会環境も一因だが、それは日本人の美徳な部分に頼る所が大きく、決して自民党が正しい訳では無い。可視化も各々の経済状況や労働環境、人種で見える姿も大きく様変わり。一緒に居ても見える景色が異なる事は、実はとても恐ろしい。

可視化の続き、被害者を仮にWhite、加害者をBlackとします。色分けしないと問題点を炙り出せないが、左巻の方は色分けする事は悪戯に分断を煽るだけと主張される。彼らはGrayを作る事で対立では無く建設的な議論と言う。しかし、本作のテーマ「貴方には差別の階層が見えましたか?」ご覧頂ければ、お花畑な机上の空論では問題解決は進まない事が、日本人の私でも良く解る。差別の問題をスッキリ解決するには、経済格差の是正しか無いかと思う。

レビュー済「マスター 見えない敵」Jordan Peele監督に代表される黒人の差別をスリラーとして「可視化」。本作のプロットは実に判り易いので中身に言及する事は避けるが、同じ黒人同士でも見える景色が異なる事を、明確に区別する、基本的に経済的にゆとりが有れば、心にもゆとりが生まれる。小さい頃からの人格形成に及ぶ事は否定しないが、本作では「ある行動」起点が、その後に大きな波動を生み出す。選択の是非を差別と重ねる事で、エンデュランスな物語に繋げた。

皆さんは「Racial profiling」と言う言葉をご存じだろうか?。私は一時期ロサンゼルスに住んでた時に、行為を目の当たりにした経験が有る。プロファイリングで分る通り捜査手法を意味するが、概要は白人の警察官がアフリカ系アメリカ人に対象を絞って捜査。勿論、人道上認められる手法では無いが、ロサンゼルスでは若い黒人男性が車を運転してるだけで、日本で言う職務質問を受ける。アメリカで「Stop-And-Frisk」と言うが、だから黒人は安易に警察を呼ばない、呼べない負のスパイラルに陥る。

秀逸なのは物語の当事者2人だけでなく、もう1人の視点がスクロールされる事で、別の問題点も浮き彫りに。レビューを書いた後で私の御膝下、京都の同志社大学ラグビー部の4人が女性に対して輪姦レイプした事件が報じられた。同志社大学は、2007年にもラグビー部の3人がレイプ目的で女子学生を車に無理やり乗せようとした疑いで逮捕。氷山の一角で、法令が変わり強姦罪が強制性交等罪に格上げ、示談の要件も厳しく制限されたが、問題の根底は女性を「モノ」としか見て無い人格、究極の女性差別と言える。

「プリンストン大学」どれだけ凄いかピンと来ない方の為に解説。アメリカのアイビー・リーグに所属する伝統あるビッグスリー。公式なランキングで9年連続1位。2位ハーバード、3位イエール。同志社大学?箸にも棒にも(笑)。主人公はナイジェリア留学生と言う設定だが、「Book smart」勉強は出来るけど世間知らず、と言う意味。彼なら本気でノーベルが狙えるかもしれない。

京都の大学を卒業(同志社ではない(笑)してますが、運動部に限らず「飲酒の強要」のみクローズアップするが、彼らは非合法のドラッグを使い女性を昏睡させる事に何のデリカシーも感じない。卒業までに彼女を作りたい、セックスしたいと言う自分本位の考えしかない。ですが、本作に登場するのは、そんな気はサラサラ無くて純粋に女性の身を案じたから。その結末を見て貴方には、どんな思いが去来するだろうか?。

「差別者」「被差別者」住み分けを問い掛けるが、異性に対する差別と肌の色の差別をクロスオーバーする事で、別の角度からのアプローチも浮き彫りに。「Intersectionality」インターセクショナリティ、最近アメリカのニュースでよく聞くが日本的には交差性。人種やエスニシティ、ジェンダーやセクシュアリティの差別の軸が組み合わさり、相互にシンクロする事で複雑なプレッシャーが生じる現象。

本作の場合、ソレに線引きする事で終わりを告げるが、差別なんて極めて流動的で固定化される事でもない。白人だけど底辺の若い女性、黒人だけどプリンストン大学の秀才。黒人も高級車に乗れば「Stop-And-Frisk」には遭わない。それを示唆するラストは秀逸だった。黒人と白人、裕福と底辺、それをロジカルに描けるアメリカには、まだ救いが有る。邦画は直ぐに感情論に終始するが、日本人も決して他人事では無い。

無自覚なステルス差別。貴方にもきっと「見えなかった景色」が見える筈だと信じたい。
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