散歩

大いなる自由の散歩のネタバレレビュー・内容・結末

大いなる自由(2021年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

予告編に「フェルメールやレンブラントの絵画のよう」ってレビューがありましたが確かに美しいシーンの多い作品でした。映画の中で唾液を官能的に感じたのって今作が初めてかも知れない。でも個人的に気になったのはその絵画を収める枠でした。刑務所映画というだけあって彼らを収める枠が多く登場したし、冒頭の公衆トイレやオスカーとの映像のフィルムだったり。多くの作品の場合そういうのって彼らの感じる抑圧を表していて今作にもその要素が無いとは思ってないんだけど、どちらかというとあの枠の中でだけ彼らは彼らでいられる、あそこだけが彼らの世界だって感じがしました。そもそも映画というメディアがフレームの中で展開されるものであって、そういうのも狙って作ったのかなって思っちゃいました(最近のドラマで描かれる同性愛の数に対して現実の中で彼らが当たり前でいられる事ってまだまだなのかな、とか)。最後に警報が改正されてハンスは刑務所の外に出ますが結局彼の居場所は暗闇と枠の中と格子の向こうにしかなく、刑法に関係なく相変わらず否定し続ける世界にハンスが感じていたのは怒りなのか絶望なのか、まあその辺の彼の内は知る由もないですが初めて自覚的に犯罪を犯して警察を待つハンスからの無音のエンドロール。「なにが『大いなる自由』だ、バカヤロー!」って声が聞こえてきそうでした。
もっと苛烈な虐待描写があるのかなって構えていたんだけどそんなこともなく、それほど物語に起伏が無い上に時制もシャッフルされているので正直ハンスが何と戦っているのかがなかなか掴めなかったんですが、ヴィクトールと独房に入れられたときにふと「これに何の意味があるんだろうか?」って思った時に、「あっそういうことか」って。ドイツの歴史的にナチス時代からの継承としての刑法175条、お前らだけ話しちゃダメ、悲しんでいる人を抱きしめちゃダメ、社会強者側のやっているあらゆることに意味が無くて、そんな意味の無さにハンスは「悪である」と存在を否定されているわけで。で、その意味の無さを作って更に支持しているのがマジョリティなんだって思った時にスクリーンから睨まれている感じがして「ウワッ!」ってなってしまって、自分は愚鈍なマジョリティの1人としてこの映画に参加してたんだって、「あ~この映画、全然今を描いている作品だった!」ってねぇ。刑法改正だって最終的には多数決でそうなったんだろうなっていうのが凄く皮肉だし、社会がハンスやオスカーのような人達を思っているとは到底思えないし(中毒から立ち直ろうとしていた時のヴィクトールの言葉が個人的に凄く刺さった)、それ故のラストは何も知らまいままに勝手に社会の中の善し悪しを決めるマジョリティに対する大きな怒りの表明だったんじゃないかなって。今は刑法だけじゃなくて勝手な正義による私刑が頻繁に起こっているし、本当の意味で他者を思うって事がどういう事なのか基礎から考え直さないといけない時期に来ているんじゃないかって、どうやってもマジョリティでしかない立場から勝手に考えながら劇場を後にしました。

まあ、今言えることがあるとすれば「『理解増進』って何だよ!」って。今作観た後だと人に対して使う言葉に思えなくなってきた。
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