かなり悪いオヤジ

ザリガニの鳴くところのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

ザリガニの鳴くところ(2022年製作の映画)
3.8
理不尽な暴力を受け続けてきた者が、それを法によらずに強制排除することは自然の摂理にかなっているのではないか。この映画ならびに動物学者ディーリア・オーエンズがしたためた“湿地”ベストセラーミステリーが掲げたテーマは見た目以上に重く、ややもすると戦争や革命を助長する危険な思想といえなくもないのである。ゆえに本作に対する体制擁護の立場をつらぬく評論家たちの評価は例によって一様に芳しくない。

戦地から戻ってきたPTSD父さんのドメバイのせいで一家が離散してしまい、人里離れた湿地に一人取り残されたカイヤ(デイジー・エドガー=ジョーンズ)。やがてそのドメバイ父親も死に、学校にも通わず孤独な生活を強いられてきたカイヤだったが、沼で偶然知り合った同じ年頃の青年テイトと意気投合、将来を約束した2人だったが...

この後テイトに捨てられたと思ったカイヤは、町でみかけた青年チェイスと知り合うのだが、これが父親とおんなじとんでもないドメバイ男。ある日、チェイスの死体が湿地の家付近で発見されたために、チェイスと付き合っていたカイヤに容疑がかけられてしまう。映画はチェイス事件の法廷劇に、事件にいたるカイヤのボッチ物語がカットバックされる構成になっている。

動物観察の才能を持つカイヤが劇中こんなこと述べるのだ。「カマキリのメスは2つの目的のためオスに誘いにかける。ひとつは生殖のため、ひとつはオスを食べるため。自然に善悪の区別はないわ」と。原作小説には、オスを補食するために光るホタルのメスの話もしつこく登場するらしく、自分の身を守るための暴力を肯定するような発言が、やたらと目につく映画ないし小説なのである。

それもそのはず、原作者ディーリア・オーエンズの夫は、自然保護の立場から移住先のアフリカで密猟者を容赦なく撃ち殺していたらしく、ザンビア政府からも出頭を求められているのだそう。力ではかなわない相手に暴力を振るわれ続けてきた時は、周囲が何も助けてくれない以上、暴力に訴えるしかないではないか。そもそも自然とはそういう摂理で成り立っているのだから、カイヤがおかした◯◯は正当防衛として許されて当然だ、と。

しかしこの考えを容認してしまうと、ロシアのウクライナ侵行や無差別テロ、エコテロリズムも正当防衛で一様に片付けられてしまうおそれもあるわけで、世の中がマッドマックスのようなカオス状態に陥ることを世の支配者層は最もおそれているのである。それ故、現代の御用哲学者連中は今更“スピノザ”の道徳論なんぞを持ち出したりするのだが、むしろその(自然界には存在しない)道徳心自体が差別や格差、疎外を生んでいる原因ではないだろうか。

自然の中で育ったカイヤが、父親やBFの暴力や、地元住民の疎外から逃れるためには、ザリガニの鳴くところ=人間界の道徳ルールが及ばない場所に逃げ込むしか無かったのがいい証拠である。それは、この世界のシステム自体が自然のメカニズムに反して作られているからではないのだろうか。ディーリア・オーエンズが投げ掛ける命題は、平和になれすぎた私たちに重苦しくのしかかるのである。