塔の上のカバンツェル

ソウルの春の塔の上のカバンツェルのレビュー・感想・評価

ソウルの春(2023年製作の映画)
4.3
おそらく年間ベストだと思います。

韓国映像界が蓄積したノウハウが、本作でも遺憾なく発揮されており。
70、80年代の韓国陸軍の軍装やM48パットン戦車などの装備品の数々はオタクの目にも優しいですし、陸軍本部(▲三角地)地下のB2バンカーや反乱軍側の作戦室などの舞台美術の作り込みや、一見して登場人物がほぼ全員が軍服を着ていているので地味にも見えるところを空挺部隊の迷彩服や保安局員は紺色の軍服など、服飾上の個性もきちんと描き分けることで、決して単調にならないような画面の構成力。

映し出される小物や記号の情報量の多さと軍事用語で畳み掛ける情報量の多さが見る者を圧倒すると同時に、観客が決して物語から脱落しないように多少の演出上の嘘を丁寧に配してもいて、その匙加減が絶妙だなと。

劇中で機動力を誇りソウルへの競争で(あたかもルビコン)川を渡る、渡らないのサスペンスを展開した”空挺”旅団ですが、作品上ではハナ会の息のかかった第2空挺旅団と鎮圧側が頼りにする第8空挺旅団は架空の部隊で、実際の当時の編成では特殊戦司令部隷下の4個旅団の内訳は(第1・第3・第5・第9”空輸”特戦旅団)だったそうです。
史実の第1空輸特戦旅団は第2空挺旅団に、第9空輸特戦旅団は第8空挺旅団に作品内では置き換えられているのは、空輸特戦旅団は現在も存続するエリート部隊のため何かしら配慮がなされた側面もあると思いますが、史実通りに第9空輸特戦旅団を登場されるとノ・テゴン少将率いる反乱側の”白馬部隊”こと第9歩兵師団と一般の観客が混同するのを避けるための意図もあったのではないかと。

※因みにですが、字幕では”空挺”と訳されていますが、韓国出身の先輩に確認したところ”공수”특전여단は、”空輸”特戦旅団という直訳の方が用語的に正しいようです

(あと、全くの余談ですが、韓国の師団には”白骨師団”や”猛虎師団”などのカッチョいい愛称がつけられているので厨二心がうずきます)

描き出される情報量に圧倒されると同時に、地図上で情勢を可視化したり、歴史考証に若干のファンタジーを織り交ぜて観客に飽きさせない工夫が徹底されていることで、自分のような外国人の観客でも何が争点になっているのかストレートに飲み込むことができ、終盤まで興味と緊張感が持続します。

「事実をただ伝えるのではなく、観客が物語に没入して体験してほしい」とは監督の言葉ですが、ドキュメンタリーではなく、あくまでも劇映画として自国のトラウマをエンターテイメントとして敢えて提供する。幅広い観客に考える機会を与える、という姿勢はコンテンツの真っ当な供給スタイルであるのではないでしょうか。

また、「日本のいちばん長い日」を引き合いに出される方も多いようですが、彼の作品と本作に共通する画面内の”緊張感”を担保しているのは俳優たちの顔面力ではないかと個人的には思います。
戦中の記憶がまだある日本の俳優たちの鬼の形相に圧倒される「日本のいちばん長い日」、一方で本作をはじめ韓国作品の俳優たちやエキストラは徴兵経験者のため軍人役の立ち振る舞いの説得力が自然と引き出されるのは、韓国作品の(幸か不幸か)アドバンテージになっているのかなと。

公式のメイキング映像では、戦車のここの隙間から水やお菓子を渡すんだよ〜など経験者ならではのリアクションの数々がコスプレ大会にならない画面の説得力に反映されていて侮り難いなと感じました。

だからこそ、本作ラストの浮かれるおっさん達のカラオケや集合写真が悪い冗談のようで、物凄い不快な後味を残していったのだとも。

そんな男たちが繰り広げる政治劇と権力闘争には、古今東西の国家や大小様々な組織で行われている普遍のいざこざでしかないとも言えますが、行政・官僚機構としての軍隊が政治闘争を一度始めてしまうと無視できない暴力をふるってしまうという、史上の悲劇と軍隊組織が内包する危うさは作品内でこれでもかと描かれます。

脆弱な文民政府に対して、ハナ会は首都一帯の部隊を配下に置き、さらには本来なら北朝鮮と最前線で対峙する第9歩兵師団や第2機甲師団を引き抜くことも容赦しません。
一方で、鎮圧を行おうとする正規軍側は国防上の真っ当なジレンマから前線から部隊を呼び寄せることに躊躇します。
チョン保安司令官が上官である参謀総長の逮捕を、裁可・追認してもらうための手続き上のサスペンスが物語の重要な推進力となっていますが、民主主義のプロセスを重んじる正規軍派は文民の長たる国防長官を反乱軍側が抑えた段階で勝ち目はないと悟り、武器を置くことを余儀なくされます。

終盤にイ・テシンがチョン保安司令官との対峙に赴く道中で、世宗大王(セジョンデワン=韓国の駆逐艦に名前をつけられるくらいの偉人)の像を見上げるシーンに、韓国人は何を汲み取るのか。

暴力装置としての軍隊を描く一方で、国家の防衛機構としての軍隊を文民がいかに制御するのか。

物語の最後に大統領がささやかな抵抗として事後裁可とサインするのが、一際に印象的でした。

軍隊という存在に対して漠然とした恐怖や軍隊そのものの廃止を願う理想も人類の到達点として切に達成すべきと思いますが、国家の内的要因から警察力を仮に廃すことはできても、外的要因に対処するための軍事力を無くすことは現実には不可能でもまたあります。だからこそ、ルールを設けて具体的な実態を伴った運用と共にいかに管理していくのか。

シビリアンコントロールの重要性をここまで丹念に映像で説いてくれる作品という意味でも、国家という枠組みの中で営みを行っている者にとって普遍的なテーマとして受け取れる作品ではないでしょうか。

作り手が意図した、当時と現在を繋ぐ体験としての映画、という意味で良い映画体験だったと思います。