Yoshi

東京2020オリンピック SIDE:BのYoshiのネタバレレビュー・内容・結末

東京2020オリンピック SIDE:B(2022年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

 先にSIDE:Aを視聴して、その際に、2020年から21年にかけてのイヤな感じを思い出した、と思っていたのだが、SIDE:Bを視聴して、もっといろいろあったことを思い出して、いっそうイヤな気持ちを味わうことになった。
 本作品(SIDE:B)は、コロナ禍が発生した中で、どのようにオリンピックを開催に導いたのか、ということがテーマとなっている。その過程の中で、日本社会のダメなところがかなり赤裸々に記録されており、特に森喜朗氏がその象徴のように描かれている。森氏は組織委員会の会長だったので、そう描かれても仕方ないのだが、問題は森氏個人にあるというよりは、こういう会長を生み出す日本社会にあるのだと思う。
 その辺は本作品にたっぷり出てくるので良いとして、河瀬直美監督が、本作品で語ることができなかった点があり、それこそがオリンピックの本当の問題点ではなかったか。
 それは何かといえば、「なぜオリンピックだけが特別だったのか」ということである。
 作中で、雑貨店の店主がこんな趣旨のことを語っている。曰く「この1年半、自分たちはライブなども行ってはならないなどと言われてきたのに、オリンピックはやる、というのは不平等ではないか」。この感じこそ、私たちがあの当時強く感じていたイヤな気持ちの正体ではなかったか。整理すればこういうことだ。「オリンピックはデカいビジネスだから無理にやるんじゃないか? 違うというなら、その意義をきちんと説明してくれ。ビジネスなんだったら、オレのビジネスも止めないでくれ。」
 IOCのバッハ会長なり、組織委員会の森会長なりが、もっと日本国民に伝わる形で、オリンピックを開催することの意義についてメッセージを発すれば、また私たちの気持ちも違ったのかもしれないが、本作品の中で、その意義が丁寧に語られている様子は伺えなかった。この説明不足によって、結果としてオリンピックの価値そのものが大きく毀損してしまったのではないか。オリンピズムのメッキがはげて、ビジネスという地金が見えすぎてしまったのではないか。
 今回の東京オリンピックは、オリンピックの「終わりの始まり」の可能性がある。そのことが記録された作品であると感じられる。
 SIDE:B、よく公開までたどり着いたと思う。SIDE:AとSIDE:Bを通じて、この難しい記録映画の制作を引き受けた河瀬監督には敬意を表するが、両作品を比較すると、映画としてのまとまりはSIDE:Aの方が良かった。
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