耶馬英彦

島守の塔の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

島守の塔(2022年製作の映画)
4.0
 吉岡里帆がとてもいい。泥だらけのモンペ姿での演技は、化粧や衣装やライティングの助けが得られず、演技力の真価が問われたが、見事にポテンシャルを発揮してみせたと思う。
 演じた比嘉凛は、これこそ軍国少女というべき典型的な女性であり、東条英機の「戦陣訓」を座右の銘として、皇国の勝利を疑わず、最後は神風が吹くと心の底から信じている。

「戦陣訓」はその一節「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」が有名だが、この部分だけ読んでも、上から高圧的に物を言う高慢な精神性があからさまであり、現場を知らない高級将校に会議室から命令を下されているような腹立たしさがある。
 こんな「戦陣訓」を真に受けてしまう国民の幼稚さが、戦争に突き進んだ愚かな指導者たちを後押ししたのは間違いない。「戦陣訓? バカじゃねえの」が当時のパラダイムであれば、日本は戦争をやめたと思う。しかし最初に反戦を言い出した勇気のある人々は、悉く特高によって検挙、または拷問死させられてしまった。
 現代では「オリンピック? バカじゃねえの」と言っても罰を受けることはないが、アスリートに失礼だろうと非難する精神性はまだ残っている。他人を非難するのは自分が上になったようで気分がいいものだ。村八分やいじめっ子の精神性である。「キサマは命懸けで戦う兵士を愚弄するのか」と恫喝する側は、世のパラダイムに乗っかって他人を上から怒鳴りつけることができる訳で、おそらく気分も晴れるだろう。しかし言われる側はたまったものではない。恫喝されても、尚且つ反戦を主張する勇気のある人は少なかったはずだ。

 島田叡知事はドキュメンタリー映画「生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事」を観て初めて知った。この高潔な人格者を萩原聖人が好演。本作品では島田が台湾から調達した米の行方は描かれなかったが、実際は軍に掠め取られてしまった。住民のために何ひとつしてやれなかったという、本作品の島田の嘆きは、何もかもが軍の裏切りによって無為とされてしまったやるせなさを含んでいる。
 国や名誉よりも人の命が大事だという島田のヒューマニズムは、島田の覚悟でもある。島田は役人だ。命令には従わねばならぬ。しかし島田にとって、命令よりも優先すべきは住民の健康であり、住民の命だった。大変な勇気だったと、頭の下がる思いだ。
 歌や踊りのシーンを入れたのがよかった。戦争は極限状況だが、人々の精神性は日常である。どこかでバランスを取らないと、心がおかしくなる。島田は野球で精神の安定を保つことが出来た。島の人々にはどんなときでも踊りや歌が必要なのだ。

 さて今般の日本は、射殺されたアベシンゾーの国葬の是非について、議論が喧しい。国葬は特定の人物に対する弔意を強制するものであり、この儀式そのものが憲法で保証されている内心の自由を侵害する恐れがある。「積極的平和主義」と名付けた戦争主義を推し進めたアベシンゾーだ。国葬によってその思想が世論となってしまうと、日本は再び戦争の悪夢に見舞われる。島田叡と同じような気骨のある役人が、現代日本にも存在していることを祈るばかりである。
耶馬英彦

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