ずどこんちょ

わたしの幸せな結婚のずどこんちょのレビュー・感想・評価

わたしの幸せな結婚(2023年製作の映画)
3.4
和風の世界観を舞台にした能力者バトル。少年にも少女にもウケそうな作風です。

主演も目黒蓮と今田美桜という、こちらも中高生の男女どちらにもウケそうな抜擢。
ターゲットとしたい層があからさま過ぎる気がするのですが、そのどちらのターゲット層でもない私が本作に注目したのは塚原あゆ子監督でした。

『アンナチュラル』『MIU404』『最愛』と最近のTBSドラマの話題作を作り上げる塚原監督にとっては、2作目となる劇場作品です。連ドラは多数手掛けていますが、映画はまだそんなものなのですね。
塚原監督の作品はテンポ感が心地よくて、同じ時間であってもギュッと情報量が詰まって見応えを感じるのです。
本作も同様で、たとえばクライマックスの対異特殊部隊の一同が軍人同士で斬り合うこととなる壮絶なシーンも、清霞とその部下との厚い信頼関係や深い絆が感じられていなければ、部下を斬らねばならない清霞の苦痛はあまり共感できないわけです。

基本的に美世が清霞と変わって、心持ちが変わるまでを描いた作品ですから、清霞と部下の関係というのはサブ的な要素に過ぎません。しかし、クライマックスでの苦しい闘いを描き出すにはここの関係性を手薄に描くわけにはいかない。
本作ではその点、脚本でも演出上でも非常に端的かつ無駄なくこの関係性を事前に描いており、クライマックスで仲間内で斬り合う苦しみをしっかりと感じさせていました。
特に岡部と格闘する際にロケットの赤ん坊の写真がチラチラ見えるのは非常に上手いと感じました。ちゃんと自分の子供が大きくなってきたことを話してたもんなぁ。
短いシーンの中にしっかり情報を詰め込む塚原監督ならではの手腕ではないでしょうか。

人に害を及ぼす異形から人間を守るため、名家に代々受け継がれてきた異能の血。
そんな名家に生まれて早くに母親を亡くした美世は、父親と再婚した後妻と異能者であるその娘から虐げられて生きてきました。異能もない故に二人から虐められてきた美世は長女であるにも関わらず、使用人のように扱われます。いや、理不尽にお湯をかけられるなど使用人以下の扱いだったのです。まるでシンデレラのよう。
後妻は前妻だった美世の母親を憎んでおり、彼女の面影を感じさせるものはすべて排除してきました。形見の着物を燃やし、面影を残す美世を虐待し続けてきたのです。幼い頃は美世を真っ暗な蔵に閉じ込めるなど、なかなか壮絶な虐待をしていたようです。

そんな美世も久堂家当主、清霞の元へと嫁ぐことになります。冷酷非道と呼び声の高い清霞。これまで何度も嫁入りに来た女性を追い出してきた過去があります。
美世の嫁入りの日、誰も彼女のことを祝福する者はおりませんでした。自分で家を出て行き、自分で歩いて久堂家に輿入れする美世。
翌朝から美世はいつものように朝食を作り始めます。初めて彼女の朝食を口にした時、清霞はその美味しさを褒めました。すると、朝食を褒められたことで泣き出す美世。
自分が作った朝食を人から褒められたことが初めてで、感激したのです。アカギレだらけの手、視線を合わせずに常に謝る言葉しか出てこない精神状態。
彼女が過ごしてきた凄惨な日々を感じざるをえない清霞は、美世がこれまでのどの女性とも違うと感じます。やがて二人は徐々に心を通わせ合い始めるのです。

美世は名家の娘にして異能を持っていないという最大のコンプレックスを抱えていました。
"持たざる者"に存在価値はないという世界観です。異能である自分に自信を持てず、使用人として家から外へ出ることも許されなかったため世間すら知りません。周りに助けてくれる者もいなかったため、彼女は自分自身ですら自分のことを認められずにいたのです。言葉を発することを認められず、自分という存在を捨てて生きてきました。
そんな彼女だから、自分が作った朝ごはんを褒められただけでも感涙するほど嬉しかったに違いありません。
久堂家では"持たざる者"であっても良いと認められたのです。異能者かそうでないかという名家の血筋にこだわる旧来の考え方と違い、清霞は美世であるから嫁として迎え入れてくれたのです。
美世に嫉妬した前妻とその娘・香耶が美世を拉致し、蔵の中でいじめていた時も、美世を取り戻しに来た清霞になぜ自分ではなくて美世なのかと香耶が問い掛けた際、清霞は香耶を選ぶことは絶対にないと断言します。
異能者であることが優位であるとする世界で、清霞は人の本質を見ているのです。
それにしても、飛ぶ鳥を落とす勢いの今田美桜の頭を踏みにじるのは、いくら演技だとしても一体どんな覚悟だったことでしょう。踏みつけられる方の体当たり芝居もさることながら、炎上必至の芝居を求められた、踏みつける方の山口紗弥加にも労いの拍手を送りたかったです。

美世にはもう一つの苦悩がありました。
それは連日連夜続く悪夢です。心身共に消耗するほどに悪い夢にうなされているのです。その原因は美世の血筋に関係がありました。
人の精神に影響を与えやすい薄刃家の能力の血筋を引く美世は、これまで能力が発揮されることはありませんでしたが、確実にその影響によって自分自身の身を破滅へと追い込んでいたのです。

ところがその美世の能力が、対異特殊部隊の中で広まった不可思議な病の騒動で発揮されます。感染すると意識を乗っ取り、軍人同士で殺戮し合うという恐ろしい事件が発生したのです。
清霞らにも解決策が見出せず、仲間からの攻撃を防ぎながら苦戦する中、美世が現れたことによってすべての病が一瞬で解けていくのです。

美世の天賦の能力は「夢見の才」。
あらゆる人間の夢の中に入り込み、精神操作や洗脳を起こす力だったのです。異形を打ち取るための能力でなく、異能者をコントロールするという強大な力だったのです。それはすべての異能者から恐れられる能力。この能力が覚醒したら、必ず美世の命が危険に晒されます。
そう思った美世の母親は、美世の命を守るために彼女の異能を封じていたのでした。

異能がないことで虐待を受けてきた美世。唯一の支援者であった使用人も、後妻によってクビにさせられ、以来、美世は天涯孤独の身で生きてきました。
未来はないと感じていた清霞との結婚により、清霞という新たな助けができただけでなく、美世は鶴木家との繋がりを知り、そして何より自分が生まれてすぐ亡くなった母親の深い愛を知ることとなりました。
美世は決して一人ではなく、孤独ではなくなったのです。

何を持って幸せというのかは人それぞれ違うでしょう。異能であることが最重要と考える名家があるのに対し、清霞のようにまるで違う価値観を持つ者もいます。
美世は輿入り前、結婚に幸せは見出していませんでした。どこへ行っても自分はただ「耐えればいい」と。
ところが、美世は清霞との出会いによって数々の人との繋がりを知ることとなるのです。孤独ではないという幸せ。きっと「夢見の才」が覚醒したということよりも、一人ではないということが何より嬉しいのだと思います。
清霞のプロポーズを受けた美世は笑顔で答えます。美世らしい慎ましい幸せの形です。
これまでの後妻らからの酷いいじめシーンを見ているだけに、この日を境に美世が幸せになってくれることを願います。