◎米兵を頼み生きた女とそれを許せぬインテリ男
1953年 新東宝 モノクロ 97分 スタンダード
*状態は鑑賞に支障なし
大女優田中絹代の監督第一作で、溝口健二は彼女の監督デビューに大反対、だったら俺たちはと成瀬巳喜男・木下惠介・小津安二郎(タイトルロールにも三巨匠の名前が出たような‥)がタッグを組んで全面的に支援した。
いやぁ、これは大傑作ではないか。
主演は元エリート士官の真弓礼吉(森雅之)、復員が遅れ今は定職もなく鬱屈した生活を送る。
愛を誓いあった道子(久我美子)が忘れられず行方を探していたが、やがて再会すると‥‥
【以下ネタバレ注意⚠️】
敗戦後の日本における定職も得られない男の屈託は、小津安二郎が監督した『宗方姉妹』(1950年 2024.2.28レビュー)では山村聰が演じる田中絹代の夫が体現していた。
この田中絹代が主演した『宗方‥』と本作との関連も従来から指摘されているようである。
本作の礼吉は、弟の洋(道三重三=国方伝)から生活に対する意欲がないことを非難されるが、どうやら東大出で英語をはじめとする外国語にも堪能な超インテリ。
そうしたプライドと実生活の乖離があるからこそ、余計に屈折した偏屈者になってしまっている。
自分の本来持つ能力に見合った職がないか探しても見つからないまま、いくらにもならない翻訳仕事で食いつなぐ日々を過ごしているうち、旧友の山路(宇野重吉)と出会い、仕事に誘われる。
渋谷の路地裏で山路が小さな店を開いている、米兵を相手にしている女性(パンパンやオンリー)たちが情夫に送るラブレターの代筆屋稼業であった。
文学にも通じ、英語のラブレターを作文することなど朝飯前の礼吉は、すぐに女たちに評判が広がる。
出自も年齢もさまざまな女たち。
それを、田中の監督デビューを祝って大女優から新人まで数多の名優がパンパン役でカメオ出演するのが楽しい。
なかでもラスボス的なお姐ぇさんを田中絹代その人が演じて、演技者としても抜きん出た存在であることを見せつける。
礼吉の留守中、そうとは知らない道子が帰国した男への手紙を依頼しに来た。
戦災で家族を失って孤独だった道子は、礼吉の復員が遅れている間に、寂しさと生活苦から進駐軍勤務の在留米人と暮らすようになっていたのだ。
それを知って、道子をなじる礼吉の言い草がひど過ぎる。
彼女は自分は街娼のような売春行為をしていた訳ではないことを言い募るのだが、礼吉は、あなたのような人が「青い目の子ども」を産んで人から後ろ指をさされることになるんだ、と言い捨てるのだ。
道子に対する侮辱であり、今だったらレイシズムとしても糾弾される問題発言だ。
一見、かつての軍国主義者とは違い、父権主義的な男尊女卑とも無縁かに思えた礼吉のような理想主義者のインテリ男が、一皮剥けば女性と外国人への偏見に満ちた差別主義者であることを明らかにしている。
こうした視点は、現在の社会派作品でも、なかなか容易ではないようで、リベラルサイドの作品にこそ根強い差別意識が露呈していることは少なくない。
本作の救いは、そもそも礼吉に恋文代筆稼業を紹介した山部を、そうした差別意識から解放された(街娼たちにも偏見なく接する)人物として造形していることだ。
宇野重吉のベストアクトのひとつだと思う。
それが本作をバッドエンドでは終わらせず、礼吉の「改心」「開眼の兆し」に結びつけているのだ。
こうしたテーマ設定自体も素晴らしければ、実演者らしい、細やかで隅々まで配慮が行き届いた演出の妙にいちいち唸らされる。
多くの「ご祝儀」出演者の顔見せも、単なるモブシーンに終わらせずに、その人らしい見せ場を作っているのは流石としか言いようがない。
加えて、渋谷でのラッシュシーンをはじめとする東京各地でのロケ敢行、都心だけでなく、道子が住まいする玉川上水沿いの小金井あたりのシーンもある。
とにかく映画として本格、演技者は豪華で適材適所、演出は細やか、テーマ性は問題提起性満点と、まず欠点が指摘できない。
大女優田中絹代は、名監督であった。
この事実を知れたことが本作に出会った最大の収獲だった。
***
はじめて傍聴したが、日本映像学会関西支部の夏期映画ゼミナールとしての上映だったのでアフタートークがあった。
*A 学会チラシ
jasias.jp/wp-content/uploads/2024/08/kansai_cinema_seminar44-2.pdf
聞き手は阪大の東志保さんで、阪大院生の中村莉奈さんのトーク。
東さんからは、国際的に監督田中絹代再評価が進み、その全6作の上映の機会も世界的に増えて来ているとのこと。
中村さんから、ラストの道子が目を開くシーンは、丹羽文雄の原作にはない映画オリジナルであること。
東さんから、最近話題になるシスターフッド絡みで言うと、ブラザーフッドの方になるが、礼吉と洋の実の兄弟の関係性が面白いこと。
東さんが、渋谷などでのロケ撮影について振ると、中村さんは、田中絹代がラッシュシーンにこだわっていること、ハチ公前の雑踏で山路と再会することなども考えて選ばれたロケーションであると思われること、を述べられた。
東さんからは、田中絹代は暇があれば映画を観ていた人で、ネオレアリスモの映画をよく観ていたとの斉藤綾子先生の指摘もあること。
中村さんからは、小津安二郎の『風の中の雌鶏』との比較の視点について話があり、
東さんから、田中絹代本人がパンパン役を演じていたことについて、溝口健二『夜の女たち』ですでにパンパン役を演じていたこと、などについて話があった。
次いで、会場から、浜松の木下惠介記念館キュレーターの戴 周杰(タイ・シュウキ)さんから。
*B インターカルチュラル・シティ:活躍する外国人市民インタビュー Vol.8【戴 周杰(タイ・シュウキ)さん】
(取材時期:2022年9月)
www.hi-hice.jp/ja/organization-overview/inspection/intercultural-city/about-icc/icc_interview_tai/
2024年は、高峰秀子生誕100年であり、木下恵介の妹で脚本家の楠田芳子の生誕100年でもあること(本ゼミナールでも小林正樹監督『この広い空のどこかに』を上映、小生未見)。
*C 【終了しました】2024/08/25(日)特別上映『涙』&楠田芳子生誕100周年記念トークイベント「遠州に柔らかい風が吹く」
keisukemuseum.org/2024/06/30/20240825-kusuda-yoshiko-100th-anniversary-of-the-birth/
また、本作の脚本が木下惠介であることから、同性愛者としての感性も反映しているのではないか、との指摘があった。
それに対して、進行の東さんが、クィアな視点として、弟の洋が一緒に住む礼吉に対して「イヤならもう別れてるよ」と言うセリフがあることについて、木下惠介脚本だなぁと思ったと補足。
また、広島から参加されたキュレーターの方(お名前失念)は、田中絹代監督の特質として、特にスタンダードの作品であることに立脚して縦の奥行きを活かして、俳優たちを手前に置き、さらに中層、奥と重層的に配置していることを指摘し、具体的に代筆屋のシーンでも、奥にエキストラを配しながら手前で俳優が演技しているなどと話された。
締めくくりとして、東さんから、当時、女性監督というカテゴリーは未成立で、むしろ「俳優監督」‥佐分利信、山村聰、菅井一郎、宇野重吉etc.‥というカテゴライズのあり方がなされていたことなどが総括的に話された。
今回の企画者だという中村聡史さんによる閉会の辞で散会。
(以上、文責パングロス)
そうそう、パングロスのレビューを補足すると、礼吉と洋の住む安アパートの窓から逆さクラゲが見えていたのは、今で言うラブホテル(ファッションホテル?)、いわゆる連れ込み宿、待合の類なんでしょうな。
こうした「遠景」演出にも意味を持たせているあたり、田中絹代監督は侮れないなとの思いが募るばかりです。
《参考》
*1 「恋文 1953年の映画」で検索
ja.m.wikipedia.org/wiki/
*2 大TOKYOしみじみ散歩日記
映画感想「恋文」(1953) 2022-09-28 11:09:01
ameblo.jp/ayumu1964/entry-12766601108.html
*3 最上屋日記 Mar 13, 2016, 12:43:58 AM
恋文(1953年新東宝)
mogamiya-forth.cocolog-nifty.com/dailylife/2016/03/1953-86e4.html
*4 映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え
恋文 (新東宝 公開1953年12月13日 98分 田中絹代)
18/03/29 08:13
blog.goo.ne.jp/sunaoni/e/6ccb7941ccc48bf1fc044d05b7a647e0
*5 Negative Space 18/04/29
映画作家の誕生:監督・田中絹代の傑作『恋文』
blog.goo.ne.jp/baltasar/e/b781db59bb27d3bbee790d03ece1f7cc
**作中に登場するのは靖国神社ではなく明治神宮である。
*6 映画とライフデザイン 21/03/24 18:27
映画「恋文」森雅之&久我美子&田中絹代
blog.goo.ne.jp/wangchai/e/40906538701823cec03067a891cf4dfc
*7 大船シネマ 恋文(昭和28年) 2021.11.23
ofuna-cinema.com/koibumi/
*8 ひととび 〜人と美の表現活動研究室
2022-02-24
田中絹代監督特集『恋文』『月は上りぬ』『乳房よ、永遠なれ』in早稲田松竹 鑑賞記録
hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2022/02/24/001125
*9 キネノート 恋文(1953)
www.kinenote.com/sp/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=23879
*10 【渋谷の歴史 vol.3 レコードと恋文横丁~道玄坂下三角地帯 その①】
渋谷のレコード屋の社長の雑記
2024年4月3日 20:12
note.com/shinichi_takei/n/nbe03a131b031
*11 お楽しみはココからだ~ 映画をもっと楽しむ方法
田中絹代“監督”特集 2022/08/02 10:58:51
otanocinema.cocolog-nifty.com/blog/2022/08/post-077b2b.html
*12 東京ポチ袋 恋文横丁|映像の中の渋谷
映像の中の渋谷 2024年6月29日
tokyofukubukuro.com/pochi-2/?p=32909
*13 日本映画における女性パイオニア 田中絹代
公開日:2021.09.25 最終更日:2022.07.01
wpjc.h.kyoto-u.ac.jp/woman/308/
*14 城西国際大学 「映画監督 田中絹代」 村川英
www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/838-33.pdf
《上映館公式ページ》
日本映像学会関西支部
第44回夏期映画ゼミナール特集
日本の女性映画人-結髪、美粧、記録、編集、美術、脚本、監督-
Date
2024.9.6(金) 〜 9.8(日)
会場:京都文化博物館 3階 フィルムシアター
共催:日本映像学会関西支部
www.bunpaku.or.jp/exhi_film_post/20240906-0908/