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ファンタスティック・プラネットのotomisanのレビュー・感想・評価

4.2
 東京は神田のひと、アートギャラリー環の川妻さんはチェコのトーポルのところまで乗り込んで行ったそうで、ずいぶん褒めていたのを思い出す。お加減はいかがでしょうか。無沙汰で恐縮です。橋本です。

 10年ぶりに眺めるかたわら手塚治虫の「人間牧場」を探すが行方不明。
 手塚は異星人に拉致され元の生活環境と寸分違わぬシミュレーターに住まわされた人たちの地球帰還劇を漫画にし、戻れたものの異星人のシミュレーター生活と何も変わらない「現実」に帰還者たちが、どっちがどっちやら、とぼやく言葉で締めくくったのが笑わせるのだが。
 他方、いったいかの異星人の関心事とはなにか?人間からの想像として膨大な経費を掛けて拉致被害者を生かして試した興味の先が何だったのか杳として知れないのが手塚による言外の一刺しと感じられた。

 対して、トーポルは人間の子テールを飼うドラーグ族エリート子女の面白半分なテールへの啓蒙があとあと人間種族全体の文明化につながり形勢を逆転される様を描く。どこかの地球でもよくある話じゃないか?
 そののち、人間とドラーグ族は和平と協力関係を結び、棲み分けと相互の敬意を宿すまでになるらしいのだが、こちらは滅多になさそうだ。
 ともあれ、いつしか、その元を導いたテールや彼の協力者たちは消え去り、平和に至った事績が語られるだけとなる。

 歴史とされるが、テールは神話化されないところがミソというべきだろう。ちなみに、人間たちはドラーグ星を周回する人工天体を「テラ」として暮らすそうだが、現代の地球住民の体たらくは、どんな退行の結果なのか?テールを神格化して歴史を以って戒めとすべきであったかと思う。
 そんなこんなだが、この映画の奇観、怪物連のトーポルトーポルした様を見ると気が狂うと面白がってるのも楽しい。「野生の惑星」にそそり立つ理想的巨人像のつがいの群れが何れも頭無しときて、絵描きのデ・キリコもイラっと来そうなイメージだ。そいつがドラーグ族と異星人との交歓のひとときのシャル・ウイ・ダンスと来れば、絵描きも呆れて降参だろう。長い時間ウチを空けて何が瞑想やら?
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