Foufou

ファスビンダーのケレルのFoufouのレビュー・感想・評価

ファスビンダーのケレル(1982年製作の映画)
2.0
ニュー・ジャーマン・シネマの旗手のひとり。活動期間16年で44本を撮った多作の人で、37歳の若さで死去。コカイン中毒だったよう。

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーですか。まず名前がカッコいい。訳知り顔で噛まずにこの名を言えたなら、さぞかし尊敬の眼差しを受けることでしょう。ヴェンダースやヘルツォークやシュレンドルフならひと通り観ましたけどね、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは一作も観ずに今日まで来てしまいました。周りの映画好きでこの人の名前を挙げる人が不思議とおりませんで。で、最近ヘルツォークを調べていてこのライナー・ヴェルナー・ファスビンダーという名前が目を引いて(なげぇな…と)、これはいつか観てやろうと思っていた矢先。

数日前にPrime Video (最近はこれをアマプラと略すようで😒)でレコメンド映画として今作が上がってきたものだから天佑神助とばかりに観たわけですが、まぁ、遺作だし、内容的にも、彼の入門として観るにはかなりハードルの高い作品でございました。

いえ、ジャン・ジュネは最近小生の読書リストに上がっていて、そういう意味では二重に天佑神助、これはもう、5月中に『花のノートルダム』にいかねば、と楽しみが増えたは増えたんですけど、問題は映画のほう。ジュネが原作と事前に知っていれば構えもあったんでしょうけど、こちとら勢いで観てますからね、あたりは暮色に染まり、甲板では汗にまみれた半裸の男たちが帆柱に寄りかかってまどろみ、それを士官風の男が高みより窃視しながら赤裸々な欲情をミニレコに吹き込んでいて、船が停泊しようとしている岬の突端にはアール・デコ調の売春宿とそれを囲繞する屹立したファルスの石柱…うーむ、こういうわけでライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの名が今日までわたしの耳に届かなかったのかと、合点しかかって…。

いえいえ、わたしもそこまで単純ではございません。まさか、16年で44本、どれもこれもが尻を貸せ貸さぬの繰り返しだったらベルリン国際映画祭金熊賞に輝くことはなかったでしょうし、37歳なんて、色々と揺れるお年頃ですからね。『マリア・ブラウンの結婚』や『ベロニカ・フォスのあこがれ』を観てから諸々判断したいところ。

この映画をよく理解したとは言い難いのだけれど、作中「こうした男たちは女に関心がないから女に対する関心を捏造する」みたいなナレーションがあって、これには得心がいった。

開かれているように見えて、本質は閉じている。外界に対して扉を閉じる、でもいいんだけれど、必ずしもそうした排他性ではなく、そもそもの関心の欠落から来る、clôture に「見える」状態ですね。うーん、でも同じことか。ただそれも、ある種の防御的な振る舞いゆえなのかもしれないし…。いずれにせよ、「男ってさ…」「女ってさ…」というくくり批評がいつだって差別的で硬直的であるように、何ごとにつけ、一般化などできやしません。

こんなことを書いていて、なるほど、今作が極めて政治的な映画であることを改めて認識させられます。性を語ることは、鋭く政治的にならざるを得ない。しかしそれは愚人の期するところではございません。

ジャンヌ・モローにフランコ・ネロですか。豪華な俳優陣です。全編オールセット。この人工空間が効いている。

美しい映画です。
Foufou

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