ブタブタ

夜明けまでバス停でのブタブタのレビュー・感想・評価

夜明けまでバス停で(2022年製作の映画)
5.0
大林三佐子さんが亡くなった幡ヶ谷原町バス停の近くには美術館や劇場を擁する東京オペラシティがある。
大林さんは昼間は新宿の商業施設等で暑さ(寒さ)をしのぎ夜になるとあのバス停迄やって来ていたという。
丁度新宿から向かうと右手にオペラシティが見える。
NHKの番組『事件の涙』で大林さんは若い頃芝居、役者を志し舞台に立っていた事を知った。
夜、バス停に向かう時オペラシティを見上げて若い頃、舞台に立っていた昔を思い出す事はあったのかなと幡ヶ谷原町バス停に行って手を合わせた時に思った。
実際にあのバス停に行ってみると彼処のベンチはベンチとは名ばかりの位置が高く細い棒の様なとても人が腰掛けて身体を休める事が出来る場所等では無い事が分かる。
きっと長時間人が居られない様にあの様な形にしたのだと思う。
公園の長椅子で人が横たわる事が出来ない様にわざわざ仕切りを付ける《排除アート》と同じ様式の作りで暗澹なる気持ちになる。

『夜明けまでバス停で』は実際に起きた事件を元にした明らかなフィクションである。
主人公の年齢は可也若く設定されている。
結論から言えばフィクションが現実を侵食し覆す、大好きな部類のお話しだった。
タランティーノ『イングロリアス・バスターズ』『ワンス・アポン・ア・タイム・ハリウッド』と同じく現実改変とクズは排除及びぶっ殺して救うべき人を救う《救世主》が現れるお話し。

今のこの最低な状況の日本を凝縮して、あの居酒屋で働くバイトの女性達を通して非常にコンパクトに分かりやすく描いて見せるのが見事だった。
本社マネージャー(三浦貴大)の、セクハラパワハラ「お友達優遇」で売り上げを誤魔化し書類を改竄し三知子(板谷由夏)らに支払われる筈の退職金を横領する。
この男は明らかに汚職塗れでと腐敗した現政権そして「モリカケサクラ」等犯罪行為を一切断罪される事のない(死んだので《なかった》の過去形になりました)安倍晋三のメタファーである。
三知子ら女性バイト達、特に外国人であるマリア(ルビー・モレノ)に対し酷薄な同僚の男が言った「仲間とか聞いたの《ワンピース》以来」という言葉は今の特にこの国の「労働者層」の現状への無関心さと知的水準の低さ、本当なら支え合い助けるべき「仲間」に対して辛辣な「自己責任論」を浴びせる事しか出来ない冷笑主義の蔓延と、恐らくはこれらの層が娯楽として楽しむ書物やフィクションは《ワンピース》ぐらいしかないのだろうと言う皮肉とある種絶望が込められている。

仕事も住む家も失いホームレスとなった三知子が出会うホームレス達。
「中曽根」「笹川」と言った名前が上がる嘗ては名の知れた芸者であり時の総理「宇野」を女性問題をリークする事により辞任に追い込んだ女テロリストとも言うべき《派手婆》(根岸芽衣)
元極左テロリストで爆弾製造マニュアル『腹腹時計』を隠し持つ《ばくだん》(柄本明)
そして《センセイ》(下元史朗)はその先生という渾名や紳士的な物越し、知的な会話から察するに嘗ては大学教授等非常に高いレベルの教育機関に属する人物である事が匂わされ、その様な人物がホームレスに身を落とす、教育や大学等の研究機関から予算をどんどん削り、そこの研究者達は生活が立ち行かなくなっている現状、そのメタファーが《センセイ》なのだろう。
「スガ」の言う「自助」という棄民政策。
コロナ禍の中にあっても強行されるオリンピック「TOKYO2020」
安全な場所から弱者へのヘイトを撒き散らす《YouTuber》(柄本佑)のモデルは嘗てのメンタリストだろうが今ならひろゆきだろう。
《ばくだん》のテントの中で三知子の「一度くらいちゃんと逆らいたい」の一言から話しは一気にフィクションのラインを超える。
渡邊文樹『腹腹時計』その続編の様な話しがいきなり始まってしまう。
(『腹腹時計』に関しては現在ほぼ見る事は不可能ですが『虐殺器官』で知られる夭折のSF作家・伊藤計劃の映画エッセイ「番外編:腹腹時計物語」が腹腹時計を見に行った顛末とその論評が詳しく書かれており余りに面白すぎます。ネットで読めます)
『腹腹時計』には地元の老人会の協力によるキャスティングの為に「全員老人の警察部隊」という有り得ない異様な集団が登場する。
幻のガンダム『フォー・ザ・バレル』に登場する「237人の老人で構成される特殊部隊〝クロスボーン隊〟」はこの「おじいちゃん警察部隊」がモデルである。
《ばくだん》と《派手婆》この二人の老人テロリストと共に三知子は自分をこの状況へと追い込んだ《国》に対する反逆を開始する。
『フォー・ザ・バレル』は冒頭、世界を救う筈だったアムロの死から始まり時間を遡って物語が始まる。
『夜明けまでバス停で』も冒頭、バス停で〝あの男〟(松浦裕也)が凶器を振り下ろし、ある一人のホームレスの女性が死を迎える〝あの瞬間〟から時間を遡って物語が始まる。
⚠️以下⚠︎ネタバレ注意⚠︎で⚠️


















《幻想のテロルとファンタジー》
現実では余りにも悲しい最後を遂げたあの女性は映画というフィクションの中で蘇る。
『アンネ・フランクと旅する日記』ではアンネの日記というアンネの《作品》の中からイマジナリーフレンド《キティ》が現れ現世への反逆が開始される。
本当なら映画の冒頭、本来の世界線ではあの瞬間に死んでいた筈の《あの女性》は店長(大西礼芳)によって現世に呼び戻される(多分アニメだったら美少女にされてる)
まるで『Fate』のサーヴァントの様に蘇った三知子の手には宝具(アイテム)《腹腹時計》があり自らを死に至らしめたこの世界への反逆が開始される。
夢野久作『火星の女』は謎の少女の焼死体《ミス黒焦げ》の発見から時間を遡り、この《ミス黒焦げ》は家父長制社会や女性差別、腐敗した権力への反逆の狼煙を上げたテロリストである事が明らかになる。
グァダニーノ『サスペリア』の様な女性達の連帯とカルトのシスターフッド、クズマネージャーをギャフンと言わせた店長改め《ちーちゃん》というパートナーを得た三知子の戦いは始まったばかりだ!…という所でお話しは終わる。
惜しむらくはこの映画の《モデル》であり間違いなく《原案》でもある大林三佐子さんにこの映画を見てもらいたい。
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