昨年公開され話題になったドキュメンタリー。
一週間限定でポレポレで上映、今日家族と行って来ました。
アフガニスタンとパキスタンに渡り、現地の治療ばかりか、用水路を作り、多くの人々の命を救ってきた中村哲医師。
テレビのドキュメンタリーでも観たことがあるフイルムもあったが、こうやって通して中村哲さんの生き様を見ていると、
改めて「得難い、偉大な人」だったことが
知れて良かったです。
本作では、そもそも何故、中村さんが紛争や飢餓、貧困に苦しむ人々のために、現地医療に赴いたのか、
そして、医師である中村さんが、本格的な土木工事が行えたのか、
などがよく分かりました。
数々の貴重ないフィルムと並行して、中村さん自身の言葉(幾つかの著作から)が
石橋蓮司さんのナレーションで紹介されています。
その言葉の中に、中村さんがなぜアフガニスタンに留まって、救助活動に長きに渡って就いたのか、さらに土木活動をしていったかの答えがあるのです。
「道で倒れている人がいたら手を差し伸べる。それは普通のことです。」
「誰も行かぬなら、我々が行く。」
「彼らは殺すために空を飛び、我々は生きるために地面を掘る。」
中村哲さんの言葉は、決して着飾ったり、特別の言い回しをしたりしている訳ではない。むしろ、当たり前のことを当たり前の言葉で語っています。
それかなぜ、こうも私たちにぐーんと入り込んでくるのでしょうか。
この映画を観て改めて気付かされたことですが、中村哲さんの言葉は、その生き方と共にある、
言葉と生き方、その軌跡が同じベクトル内にあるから、響いてくるのだと思いました。
対照的に今、日本(主に中心に居る方々)の発する言葉(「様々なご意見をお聞きして検討して参ります。」、「善処いたします。「国民の声を聴いて、」などなど)とは全く異なるものだと思います。
水路が完成した時の現地の人たちの笑顔、中村さんの笑顔、子どもたちの飛び跳ねながらの笑顔、
それは、何物にも優る財産、かけがえのない、まさに珠玉の時なのでしよう。
中村さんの笑顔、本当に輝いていましたね〜(あの絵も本当に素敵でした!)
中村さんが亡くなられた後、現地の人たちの力で堰を完成させている場面、人生をかけて、植た種子が芽吹いた!
そう、そこには永遠に中村哲さんの魂が生き続けていくのだ。
同じ時代を生きていたこと、
この映画でその歩みを知れたこと、
それを感謝、感謝、したいです。
ポレポレさん、その後講演してくださった金平さん、監督の谷津さん、ありがとうございました!