退屈なく観れた、何気に堅実で良いつくりだと思う 勉強になった
ところどころ、ほんとか?と思うところはあったけど。ギンガムチェックの下りとか。
50年代〜60年代の英国カルチャーが少しわかったきがする
Spotify 劇中サントラプレイリスト
つくった
https://open.spotify.com/playlist/6biblLXjv02ArIWPMGoACf?si=Qte9WQVaSHq8zl3nVdv0MQ&pi=a-qkE8BSjuQF6C&nd=1&utm_medium=organic&_branch_referrer=H4sIAAAAAAAAA8WO0WrCMBiFnya9W%2BvaUVQoo%2BvWTVCwCLq7kraJjf1N4p9E0Ys9%2B1LBZxDOxeH7OHB6a7WZR5HRygp%2BDanWIQg5RO8aVedamynNZEDiN%2B4AaoeQ9eOEJDmJS59Rh491q44eaaBXEMb6mjaigeXv4TyJc1zs1qtvlRecJKURJPmsLJvtqi3d%2FJymN0jktjtPVhWJUz1a%2BnIavqYfm4OryrS4X6AADW2HJ97wVHaevgacUeuQZQr3VIo2%2BEPGGaKQ%2B7pBdTEMs6JHdWT%2FtvtMzWMBAAA%3D&product=open&%24full_url=https%3A%2F%2Fopen.spotify.com%2Fplaylist%2F6biblLXjv02ArIWPMGoACf%3Fsi%3DQte9WQVaSHq8zl3nVdv0MQ%26pi%3Da-qkE8BSjuQF6C&feature=organic&_branch_match_id=1385801554050742678
以下引用メモ
わたしが思うに母は
夫を亡くしたことで情熱を保てなくなった
一方で 誇り高き人だから働き続けたんだ
デザイナーという天性の仕事を愛しているからね
キングス・ロードのコーヒーバー
同地に1955年「バザー」が開店
2号店はテレンス・コンランが設計
音楽の代表格がビートルズなら
ファッションはマリーだ
イギリス的なものを世界に発信したんだ
マリーはモッズの先駆者として
新しい服を作っていた
50年代のファッションに
徹底抗戦を挑んでいたんだ
40年代終盤から50年代の初めにかけては
くびれのある体型がよしとされた
クリスチャン・ディーオルが
戦後のファッション界の転換期をつくった
戦争の悲劇や恐怖に対する答えとして
戦前の世界を解雇するようなデザインを発表した
50年代はオートクチュールの黄金期だ
限られた人々のための閉じられた世界だ
若い女性たちはもっと現代的なものを求めた
(マリーの)服は丈が短くシンプルで
靴は平らだから 走ったり踊ったりできる
組み合わせ次第では目立つ服でもある
ちゃんと自己主張もできるの
エプロンドレスは下に薄手のセーターを着ることで仕事着として使えた
そして靴を履き替えるだけで外出着にもなった
彼女は定番を改造するのが得意だった
ミニスカート、カラータイツ
鮮やかな多色づかい
緑色 赤茶色 プラム色などは
それ自体に力がある
マリーがタイツを売り出すまでは
ストッキングしかなかった
50年代のメイクは
赤のリップに青のアイシャドウばかり
マリーの色鮮やかな服にはマッチしないメイクだった
技術から着想を得る
塩ビのレインコート
最新技術の素材を用いた未来的で、多幸的、楽観的なイメージ
雑誌などで展開された広告の産物
キングスロード、チェルシーのイメージ
60年代
カメラマン
デイビット・ベイリー
テリー・ドノバン
モデル
ツイッギー
ジーン・シュリンプトン
モデル達が個性や影響力を備えていて
人々の活力となっていた時代
ホットパンツの流行
1968年 ビートルズが解散
70年代に入ると
ヒッピー文化が生まれていく
フワッとした素材のドレスや
裾の広いジーンズが流行した
未来志向のマリークヮントはトレンドではなくなった
60年代と70年代のロンドンは完全に違う街になっていた
そして人々は田舎での生活に憧れ始めた
スコットランドにいるポールの写真をみて
みんな羨ましがっていた
「変化こそファッションの醍醐味よ
そこには人々の普段の生活や
経済状況が反映される」
1974年
ヴィヴィアンウェストウッド
キングス・ロードに
店舗「セックス」を開店
「ファッションの未来は美しい人々と 若者達のもの いつだってそうあるべきよ」
「ファッションは
お飾りではなく人生の一部だ」