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Pearl パールのKuutaのレビュー・感想・評価

Pearl パール(2022年製作の映画)
4.0
前作はハマらなかったのですが面白かったです。

オズの魔法使いを始めとする、テクニカラーで彩られた1940-50年代の映画に、スプラッターホラーを持ち込んでいる。

前作は「ホラー映画を真似るホラー映画」というメタ視点が小賢しく感じ、優等生の映画だな…という感じでスッキリ乗れなかった。老いとセックスという切実な悩みを持つ人物を、恐怖と笑いの混ざった「不気味な老人」として描いたことにはかなりガッカリした。

今作はホラーとは無縁の世界を舞台に、暴力で徐々に映画の軸を動かし、ホラー性を浮き上がらせている。ガチョウ殺しをカットしたフィクショナルなオープニングから、長回しでターゲットを追いかけ、生々しい殺人を見せるようになるまでの変化。パールは最初から壊れているのだが、彼女の内心に丁寧に寄り添いながら、作品のトーンも変化させている。私としては、前作の不満が解消された作品だった。

パールは映画の中に入りたいと願い、映画のように振る舞う。ドラッギーな色彩が、抑圧的な人工空間をつくる。車椅子の父親は動かない家父長制、父性の不在、ヤングケアラーの問題を同時に体現する上手い設定。母親も夢を絶たれ、ドイツの血で差別を受け、孤独を抱えている。

いつ帰るか分からない夫を、笑顔で待たなければならない。パールは精神を蝕まれていく。「自分の内側で何かが捻じれ、腐っていく」。感染症の隔離、戦争の恐怖、何重もの閉塞感の中で「画面の向こう側」の世界に自分より大きな自分を見出す。承認されたいのだが「そんな目で見ないで欲しい」。今の時代を明らかに意識した設定だ。

映画のテイストを壊すように、スプラッターな殺人を繰り返し、現状からの脱出を図るパール。体をバラバラにするアクションにスプリットスクリーンが重なる演出は、彼女がこの映画までもを支配しようとしているように見えた。前作のように作り手が前に出て来ている感じがしない、良い演出だった。

現実に対抗する手段が殺人と映画だった。十字に架けられた人形とファックする場面に笑ったが、終盤のダンスシーンにはパールの現実の外側にあるものが詰まっている(結果を聞く前から観客の声援に応えているのにも笑った)。

しかし、現実の壁は厚い。彼女は最後まで望まない映画に閉じ込められる。抜け出そうとしてはテンプレに戻される、この往復運動が、今作の基本にある。現状肯定でしか生きられない恐怖。彼女は笑顔からの逸脱と帰還を、色彩を失った画面の向こう側でも繰り返すのだろう。この時代の女性の抑圧を体現するように。

黒髪とブロンドの対比は今作でも有効だ。テクニカラーの50年代ミュージカル「紳士は金髪がお好き」では、黒髪の女が髪の色を変えながら男社会のスティグマを乗りこなすが、不器用なパールは、妻として与えられた役割と、現実のギャップに絶望する。

パールは三面鏡で3人に分身する。①母を受け継ぎつつ②外の世界を夢見て③現実に穴を開けようと殺人を繰り返す。結局、①自分のルーツである母の元に帰る。憧れの欧州で憎まれるドイツの血=自分に流れる矛盾=殺人衝動を受け入れ、前作「X」のマキシーン同様、自分なりの神を見つける。手に入るもの以上を望んではならないという、母の呪縛を受け入れる。

マキシーンがポルノビデオの黎明期に夢を託したのと同様に、パールはポルノ映画に現実から逃げる術を見出す。同じ物語が繰り返されている。

しかし、マキシーンは裸にオーバーオールという自由な姿で田舎娘を演じ、虚構に閉じ込められたパールと異なり、映画の外に出ていった。Xの後、マキシーンは何処に向かうのか。3部作の最終作は、AV文化が一気に広がった1980年代が舞台になるという。
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