公開当時からすごく気になっていた作品です。好意的に観れば、いい映画でした。
私自身、ぬいぐるみに喋ることを"普通のこと"と思うタイプです。
良い映画と思う反面、始終少しずつズレている(他の方のコメントにもあったので表現を拝借)と思って観たのも本当です。
大前提として、他人の性格や性経験を揶揄ったりセクハラなどが横行する"ぬいサーの外側世界"として描かれたリアル社会の暗澹たる歪みは最も批判するに同意しますし、そこへの対話トレーニングになっている重要性を見せることも良かったです。
(↓ネタバレ要素を含む感想)
•ぬいぐるみと喋る人を繊細/優しいと呼ぶ?→NO
•大学生になってもぬい喋するのは繊細?人間ではない対象に話す"理由"がそれに該当する?→その配慮は普通では?
•恋愛がわからない→優しいとはまた別?(アロマンティック・アセクシュアル?)
•恋愛主義的な学生コミュニティにありがちな"空気"に同調させられずに恋愛や交際をしないのは、繊細というよりも空気読めないか自分を持っているか信念強タイプなのでは…(七森が告白を断るところなど)。
総じて、彼ら/彼女らを優しいや鋭敏とすることの違和感からはじまります。
•七森が「僕も恋愛に参加できるのかな?」という自己理由で彼女と付き合うのも、優しいとは逆では?思慮がなく身勝手?と観ました。(なんで"優しい"映画扱いなのでしょうと一時的になる)
•嫌なことを言われたり目撃した際に傷ついた態度を取ることすらも許されずに"よくある事"として流さなければいけない空気、その空気に従わなかった七森と麦戸の姿は重要なポイントでした。(私は白城ちゃんタイプ)
•白城が、自身が受けたハラスメントに我慢していることを話したら聞いただけの七森のほうが傷ついた顔をすること、その顔をされることにモヤっと傷つくことのほうが共感があります。人それぞれキャパシティが違うのも理解できるし仕方がないと思うのも同じ。但し、"慣れ"てしまっているのもポイントではないかと思ったり。
•慣れていない七森と麦戸が傷つき、慣れている白城が痛みを鈍化させて生活している構図が実社会あるあるで、非当事者がこれなら当事者はどうしたらいいの?となるモヤモヤがあり、"優しい"とされる側から持ち込まれる矛盾に更に重石を乗せられますが、そういったことは描写としてはあまり触れられていません。
•心を痛めて共感力っぽいものを発揮することで"傷つく側"である、と振る舞うことの加害性に、七森が気付く場面はとてもありがたいと思いました。(ですが、映画の視点が最終的にここにはないことにズレを感じます)
終始、例えるなら"身体暴力の痛みと心痛に耐えている人を前に、恋愛で心が痛い自分は世界イチ傷ついていると何も知らずに喋っている"みたいな、"病気入院中の人に、自分も部活スポーツの練習が大変で、大変さは同じだよねと励ます"みたいな。
つらいに大きいも小さいもなく感じ方はそれぞれと優しく考えて沈黙をしている苦境の人が、「大変だね、つらいよね」と自称傷つきやすいと公言できる人に言ってあげなければいけない実社会の構図がストーリーの隅に見えます。
七森や麦戸のような非当事者向け(多くの人が経験しない想像できないような何らかの不幸に遭わなかった観客向け)映画としては、優しい、かもしれませんが…という(以下、略)。
とは言え、主人公が男性である意味も考え、男性"らしさ"の呪縛という感覚は解り得ないので、呪縛に縛られる必要はないと伝える思い遣りは意義があるのではないかと思いました。
他者と接していて相手の言動に違うな嫌だなと思った時にとっさに言葉は出てこない人が喋る練習に結果としてなっているアイディアになるほどと思いました。2023年4月公開映画とのことで、この年の11月にはChatGPTが出ています。ぬいぐるみの役割がAIに代わるなら(私自身はAIと重い話を喋ります)今後どのようになるのだろうと想像したり、「ぬいサー」の続編があるならばAIとの関わりもあるかなと想像するなどです。
どなたかの感想にあった、
1本の矢が刺さって泣いている子を助けようとしているのが20本の矢が刺さっている子、そのイラストを想起したと。
"それぞれのキャパシティ"というイラストのことのようで、こちらの解釈と共に興味深いです https://sa1041wane.hatenadiary.com/entry/2023/01/21/141115
部室のぬいぐるみは、年1回は入浴させてほしい。