浦切三語

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥの浦切三語のネタバレレビュー・内容・結末

2.8

このレビューはネタバレを含みます

【怒りの映画感想動画版】
https://youtu.be/jQniVs2OynI

でしょうね、としか言えないオチ。そりゃそうでしょうね、としか言えない物語。俺は「映画」すなわち「非日常」を観に来たのに、なんで道徳観念バリバリのいい子ちゃん映画を観なきゃアカンのよ。「自分の境遇に不満を持たず、与えられた環境で咲きましょう」「心の弱さを他人に向けてはいけません」なんて、そんな紋切り型メッセージなんて必要としてないんだけど?

この映画が宿す「怠惰な普通さ」は、劇中にしつこいくらい登場する「タバコの煙」に代表される「観客をケムに巻こうとする演出」をどれだけ挿入してこようとも、オープニングシークエンスのアニメーション《僕と僕の影》が「仮面(ペルソナ)」についての映画ですよと語っている以上、ジョーカーとしての「仮面(ペルソナ)」を剥いだ「アーサー・フレックの物語」へと至るこの物語の、いちばん問題な点は、そのアーサー・フレックの描き方がまったくもってつまらないということにある。これが『ジョーカー』ではなく「アーサー・フレックの物語」と銘打つのは良いが、ハーレイやデントやゲイリーなどの他者の視点から、「ジョーカーになってしまった男」であるアーサーの内面を深掘りしていくような作品でもなければ、アーサーが葛藤の末にジョーカーとしての志を捨てず、自分がやったことの責任を自分の意志で選び取るような展開にもならず、ひたすらアーサーを「無知で教養の欠片もないバカなおじさん」として描いており、そんな彼が自分で自分を弁護するテッド・バンディみたいな展開にしたところで面白くなるわけがないし、面白くしてはいけないという制約が基本設定としてついてくるのも邪魔くさい。

それに、アーサーは自分が殺害した6人のことはどう思っているのだろうか?もしアーサーを死なせるのなら、そこをもっと掘り下げないとイカンでしょ?彼の口から、ついぞ謝罪の言葉はなかったけど、彼は「自分がジョーカーになったことで、それに影響される奴らがわんさか出てきて、ゴッサムが大変なことになった!」という、自分のやったことに対してビビり散らかしているだけで、そもそもゴッサム貧民たち暴走のきっかけになったのは、アーサーがあのサラリーマンたちを殺害したからでしょ?だからそこに立ち返らなきゃいけないと思うんだけど……そこは有耶無耶にしてアーサーを死なせるというのは、彼のやった犯罪の本質を追求するうえで不誠実だと思うんですけど。「法廷劇」としての側面を持つ作品のくせして、アーサーのやった犯罪の「おさらい」ばかりやって、彼の内面に深く踏み込もうとしないくせに、神出鬼没で思考の読めないカリスマ性を持つジョーカーではないって、もうめちゃくちゃだと思うんですけどね。しかしあのラストはね……「ジョーカーはいない」と言わせていて、ラストで「本物のジョーカー」を出すなんて、アーサーはマジもんのピエロ(道化師)になっちゃったね……
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