ひでG

福田村事件のひでGのレビュー・感想・評価

福田村事件(2023年製作の映画)
4.2
負の遺産との向き合い方

舞台挨拶での東出昌大さんの言葉がとても印象的でした。あの挨拶で観に行くことを決めた。

東出さんは、脚本家の荒井晴彦さんが、この題材、ハリウッドならリメイクも含め何度も映画化されているだろう、負の遺産とか差別とかそういうテーマだと日本映画はなかなか映画にできないけど、楽しいエンタメも大切だけど、こーゆー差別とか同調圧力みたいなものを扱った作品も絶対必要だ、と語っていました。(若干言葉は違います🙏)

ハリウッドだけじゃなくて、韓国映画も自国の負の遺産を最高級のエンタメにして、世界に発信してますよね!

僕も関東大震災の時に多くの朝鮮人や社会主義者が殺されたことは、子ども時代から知っていました。(確か、北杜夫の「楡家の人々」のドラマで知ったのだと思います。)

さらに、NHKの「クローズアップ現代」でも本作の紹介をしてくれて、
テアトル新宿くらいの単館上映かと思いきや、まさかの地元イオンでの上映!(今回は配給も頑張った!)

こうした思いや努力によって完成した作品。
さあ、観よう!もちろん、作られたこと、観られることによって、多くの意味があるのだが、映画としてどうなっているか、画面からそれをどれだけ感じられるのか自分の眼で確かめないと、、

序盤はやや重たい。特に村人たちの描写が(意図的だろうが)やや散漫に感じた。
全部観終わってから、「あそこは要らないかな。」(例えば柄本明のくだりとか)と思える場面もいくつかあった。

9月1日も、思ったよりあっさり通過(そっか、震源地からやや離れていて、地震の被害は都心より少なかったのか、、)

だが、そこからは俄然、ドキュメンタリータッチになって、大震災から大悲劇へと怒涛のカウントダウンに入っていく。

ここからはややネタバレなので、大幅行替えでお願いします。










僕も全く福田村事件のことは知らなかった。
そもそも、地震当日に朝鮮人たちへの蛮行が起きたと勘違いしていた。
そうだよね、家を焼かれ、社会が大混乱しているのに乗じての流言飛語なのだから、数日後のことだったんだね、、

福田村でも、自警団が一旦解散され(ここら辺の描写はリアルで面白かった。女たちは男衆より冷静で「早く日常に戻れ。」て)
ただ、混乱の残火とそもそも当時の日本人(今でも無くなった訳ではない)が持っている差別意識とが、ある小さな出来事で一気に発火したのだ。

その日の出来事は、さすがドキュメンタリー作家だけあって、誰が誰にこう言った、こう動いたという一つずつ、一人ずつの事実が
重なり、繋がりあって、目を覆うばかりの大虐殺になって行く。それを誰も止められない。

今まで抑えてきた役者陣のパワーもここで一気に炸裂する。
そして、あの役者に、この映画の最も伝えたかったことを言わせるのだ。

行商のリーダー、永山瑛太から発せられたあの言葉、、「せんじん(朝鮮人)なら殺したっていいんか?!」
ここで出てくる被差別者たちは、大きいくくりの主語しか使わない。
「日本人が、、」「朝鮮人が、、」
狂気の刃にかかってしまったあの朝鮮飴を売っていた少女は、絶望と怒りと恐怖の中、
自分の名前を叫ぶ。
人は大きな括り(単位)で生きているのではない!
個々の名前て繋がり、生活しているのだ!

流言飛語が起きるメカニズムにも、作り手は現代的視点で描いている。
時の政府や行政機関が最初に流した曖昧な悪意ある情報を、「お上が言ってるから!」と鵜呑みにして、信じ込み、自分たちでさらにそれを拡大させていく市民。その動きの中で、ごく一部の良識あるジャーナリストが抗う意見や情報を発しようとしても、潰されていく。

これって、似てませんか?コロナ自警団、今の処理水問題などと、
政府や行政府からは、「お願い」「要請」という形のこの国では「限りなく強制に近いお達し」が出され、それを遵守し、「コロナ自警団」のようなものも現れた。
もちろん、100年前の事件と現代のコロナ禍では大きく違うだろうが、逆に今の方がいとも簡単に流言飛語を作り出し、流すことができる。
正しい情報がいかに大切かを、
「負の遺産」から学ぶ覚悟を持って示してくれたこの作品。
私たちはしっかりキャッチしなくてはならないと思う。
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