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正欲のbluetokyoのレビュー・感想・評価

正欲(2023年製作の映画)
3.5
種本はフーコー? まあ、いいや。性欲は正欲(正しい欲)なんだろうか。いまのところ、だいたいはそうなんだろうね。少子化対策になるし。産めよ増やせよ、だ。労働力の確保、働いてくれる奴隷がいなければ主人は困ってしまう(自分は命令するだけで働かないけど)。

冒頭は、「性欲」以外の欲について、丹念に追っていく。サラリーマンの佐々木佳道は、昼食のとき、コップに注がれる水をうっとりと見入っている。近くを通る同僚たちが、草野球をしないかと誘うが、佐々木佳道は丁重に断る。
ここで出てくるのは、水への「欲」と、草野球への「欲」である。草野球欲の方が、正しい欲に近いように見える。

桐生夏月は、家に帰って、ベッドへ。水に浸される妄想を抱き、性的絶頂を得ている。ここでも、水への「欲」が出てくる。

ここまでなら、クローネンバーグ監督の自動車事故で性的興奮を得るという、クラッシュと同じである。
次から、クラッシュとは、やや異なる展開だ。

検事である寺井啓喜の場合である。息子の泰希は不登校である。啓喜はフリースクールに通わせるかな、ぐらいは考えているかもしれない。ところが、泰希は、ユーチューバーになりたい、と言い出したのである。この瞬間、なにか、やましいもの、いかがわしいもの、が噴き出してくるわけである。この場合は、社会的な「金銭欲」である。
子どもが、金銭欲に目を輝かせて身を乗り出すというのは、それなりにインパクトがあるわけである。
ちなみに、「金銭欲」は、資本主義においてはまさに「正(しい)欲」である。

次はかつての事件の記事が出てくる。ある警察署の水飲み場の水を出しっぱなしにして、蛇口を盗んだ、藤原悟、フジワラサトル、の記事である。
本人は、犯行の動機を、水を出しっぱなしにするのが嬉しかった、と言っている。

フジワラサトルの興味深いところは、水を出しっぱなしにするところではない。世の中には、そういう人もあり得るわけで、それなら、自宅の水道の蛇口をひねって、自分だけ、心ゆくまで、水を楽しめばいいわけだ。問題なのは、わざわざ、警察署の建物に侵入し、水を出しっぱなしにしたところである。もちろん、嫌がらせの行為ではない。
ようは、水の快感、水への「欲」を社会的にアピールしたかった、ということだろうか(つまり、水への欲を正欲へ昇格させたかったのだ)。

このように、いろいろな「欲」が出てくる。他にも、万引きのような盗癖、このあと出てくる小児性愛のような「欲」もある。

こうした、個々人の持つ様々な「欲」、ダイバーシティ的に、つまり、尊重すべき個人の特性といったものなのだろうか。
実際、そうではない。盗癖は犯罪であるし、人を殺してみたい、なんていう欲もある。薬物への欲、過度なギャンブル依存は治療の対象である。
逆に、性欲や仲間とわいわいやりたいという欲は、まさに「正(しい)欲」なわけである。金銭欲も資本主義では正欲である。

こう見てくると、実際、「欲」は、個人的なものであるにもかかわらず、個人が社会と関わるパーツのようなものであり、社会の権力構造と密接に、直接的に関わっていることがわかる。

だから、「欲」は、「正欲」もあれば、邪悪な欲、抑えるべき欲、犯罪的な欲、秘密にするべき欲、という風になってしまうのだ。

冒頭に出てくる、フジワラサトルは、警察署まで行って、なにをしたかったのか。つまり、水への「欲」を「正欲」に昇格させたかったわけだ。

フジワラサトルの名を信奉して、偽装結婚した佐々木佳道と桐生夏月もまた、「正欲」という地位を目指している。とすると、フジワラサトルと同様の落とし穴に転げ落ちる運命が待っているのかもしれない。

「金銭欲」に取りつかれた寺井啓喜の息子、泰希は、ユーチューバーになってサイトを開設するわけだが、そのサイトが、佐々木佳道にとって落とし穴であったことは、偶然ではない。佐々木佳道は、児童福祉法かなんかで逮捕される。
落とし穴から助け出されても同じことを延々と繰り返すだろうな。

終盤、検事として、寺井啓喜が、佐々木佳道の事件を担当することになる。

取り調べのとき、寺井啓喜と桐生夏月が対面するわけだ。

寺井啓喜と桐生夏月は、実は、その前に商店街でばったりと偶然に会っている。そのときに、金銭欲ユーチューバーの息子と母親が家を出てしまったことを夏月に話している。

取り調べ中に、夏月に聞かれて、寺井啓喜は、いま、妻と離婚調停中だと答えた。

桐生夏月、わたしなら、けっして、いなくならないから。

夏月の「いなくならないから」というのは、偽装結婚夫の佐々木佳道への伝言なのだが、どうみても、寺井啓喜への言葉なのである。

だからといって、この二人がどうにかなるわけではないが、たしかに気持ちが通じ合ったように思える。

どの点が通じているのかというと、欲に駆られて家を出て行ったユーチューバー息子のおかげで一人取り残された寺井啓喜、水への欲を「正(しい)欲」にしようとして落とし穴に落ちてしまった佐々木佳道のおかげで一人取り残された桐生夏月、という境遇である。

この映画のテーマは、「欲」に「正(しい)欲」(たとえば、性欲、金銭欲)など存在せず、欲は欲でしかない、ということである。
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