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フェイブルマンズのambiorixのレビュー・感想・評価

フェイブルマンズ(2022年製作の映画)
4.2
突然で申し訳ないけど、俺は自伝映画というジャンルが病的なまでに嫌いだ。理由はよくわからない。自分の人生があまりにも虚無すぎて嫉妬してしまうからなのか、あるいはもっと単純で、画面から透けて見える作り手のナルシシズムにうんざりしてしまうからなのか。代表的なところだと、ボブ・フォッシーの『オール・ザット・ジャズ』やフェデリコ・フェリーニの『8 1/2』あたりは死ぬほど嫌いだし、去年の『ベルファスト』なんかももともとケネス・ブラナーがニガテなのも相まってぜんぜん面白く感じなかった。そこへいくと、スティーブン・スピルバーグ監督の前半生を描いた自伝的映画『フェイブルマンズ』はどうだったか。
映画館の前で不安そうな表情を浮かべるひとりの少年、サミー・フェイブルマン。彼こそがスピルバーグの分身なのだが、のちに映画史上屈指の巨匠と呼ばれることになるサミー=スピルバーグが映画に対してはじめて覚えた感情は意外にも「恐怖」だったらしい。自分語りを許してもらえれば、俺の映画館とのファーストコンタクトは何歳だったかな、忘れたけれども、実家の近所にできたシネマコンプレックスのこけら落とし公演だった。映画のタイトルはディズニーの『ダイナソー』。なんだけど、当時の俺は生まれてはじめて体験する映画館の大音響にびっくりしてパニックを起こし、まだ予告編の時間だというのに劇場から飛び出してそのまま逃げ帰ってしまった(笑)。そのトラウマがあんまり強烈だったので、成人するまでに映画館に行った回数はたぶん片手で数えられるぐらい、なんという映画とはほぼ無関係の人生を送ってきたわけで、原初の体験が同じ恐怖なのにスピルバーグとはえらい違いだ(笑)。ほいで、サミーが見ていた作品というのが『地上最大のショウ』。スペクタクル映画の金字塔だ。そこで目撃した列車の衝突シーンがどうしても忘れられず、両親に列車の模型を買ってもらって再現を試みるんだけども、いまいちピンと来ない。それもそのはず、彼を魅了していたのは列車の衝突そのものではなく、スクリーンに刻印された「映画のマジック」の方だったのだから。その後、8ミリカメラを手に入れたサミーは映画の撮影にとことんのめり込んでゆく。人骨で作ったガイコツの入ったクローゼットに妹を閉じ込めて怖がらせる、というおなじみのエピソードをはじめとする一連のシークエンスは本当に素晴らしい。ひとりの映画監督が誕生するまでのプロセスを描く、と同時にスピルバーグが取り憑かれたいわばまさに魔法としか表現しようのない原風景をその魔法の力でもって観客に追体験させる。
ただし、そうやって映画に対する愛を高らかに謳いあげて「いやあ、映画って本当にいいもんですね〜」などと言って終わらせないところが本作『フェイブルマンズ』の魅力でもある。スピルバーグは映画のもつ負の部分にもきっちりとスポットを当てている。ここで重要なのはタイトルに打たれた「ズ」の文字。これはあくまでサミー・フェイブルマン個人のお話ではなく、有能なエンジニアではあるものの実利のためなら情緒を切り捨てることすら厭わないプラグマティストの父バートと、ちっぽけな幸せと引き換えにピアニストの夢を諦めた母ミッツィらを交えた「フェイブルマン一家」のお話であるからだ。面白いなあと思うのが、この家族関係が後半に出てくる伯父のボリスが言い放つ「芸術的成功と幸福とはトレードオフの関係にあるのだ」みたいな感じのセリフとみごとに呼応するところ。そのことを象徴するのが家族と父の親友ベニーとでキャンプに行って以降の展開だろうか。キャンプ中に撮ったフィルムを編集するサミー。ところが、彼は映像の中に母とベニーが浮気をしている証拠を見つけてしまう。まあここは普通に考えれば母親が一方的にクソなんだけど、結果的にサミーがこのフィルムを撮影したせいで家族がバラバラになってしまった、と取れなくもない。あるいは、サミーがガールフレンドにフラれるプロムのくだりを思い起こしてみよう。そして直後に続くジョックスとのやり取りも。自分が映画を撮れば撮るほど、芸術の道を進めば進むほど俗世間的な幸せからは隔絶されてしまう。もっと言えば、「作品が作り手の手を離れて一人歩きを始め、当初意図したものとはまったく違うメッセージを孕んでしまう」といった映画の闇の部分、いわば「撮ることの両義性」のようなものにも引き裂かれてしまう。そういった芸術家が根源的に抱え込まざるをえないジレンマを、先述した『オール・ザット・ジャズ』や『8 2/1』のようにドラッギーで夢幻的なビジョンを使って嫌味ったらしく表現するのではなく、あくまで地に足のついた人間の視点を通して描いてみせるあたりがスピルバーグのウマさだ。
この映画はネタバレがうんぬんというタイプの作品ではないし、キャスト欄にも普通に載ってるので言っちゃうが、成長したサミーは最後に大巨匠のジョン・フォード監督と出会う。フォードを演じるのはなんとあのデイヴィッド・リンチ。なんだけど、演技が『ツイン・ピークス』シリーズのゴードン捜査官そのままなので笑ってしまった。「俺は演技ができねえから」と豪語するツイピー当時のリンチは、FBI捜査官の役を演じるさいに極度の難聴という設定をつけ加えた。そうすると大声でセリフを怒鳴るだけでいいので、演技をする必要がないからだ(笑)。御多分に洩れず今作のリンチもやっぱり怒鳴ってるだけ(笑)。それでいて、ここに出てくる彼の芸術論の意味はさっぱりわからないし、ことによると口から出まかせを言ってるだけなんじゃあねえのかと思ってしまうのだけれど、すごいのが直後のラストシーン。ウキウキしながら戸外に出てきたサミーを捉えたキャメラがリンチの言葉通りにフッとティルトアップしたあの瞬間、なぜだか謎の涙がブワッとこぼれてしまった。これだよ、これこそが「映画のマジック」なんだよ! 相変わらず意味はさっぱりわからないけど😆
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